今日はばっぱさんの101歳の誕生日である。本当はこの日のために、『虹の橋』未収録の雑文や短歌など雑多なものを集めた『虹の橋―補遺集』を完成させるはずであったが、何かと雑用が重なって果たせなかった。ばっぱさん、もう少し待ってて!
ここ数日ある一つのことにこだわり過ぎて、結果、無駄な時間を過ごしてしまったからだ。無駄? いや正確には、報われない時間を、と言うべきだろう。というのはこだわりの対象は、私にとってはとても重要なことに思えたからだ。ともかくいろいろ考え、いろんな哲学辞典などを調べて適切と思える一つの訳語にたどり着いたのだが、当の編集作業そのものは既に先に進んでいて、結局徒労に終わってしまったのだ。関係者に迷惑がかかるといけないので、固有名詞などすべてボカして報告しようと思ったが、でもよく考えると、べつだんその人たちのうちの誰をも非難しているわけでも、だれかに迷惑が及ぶわけでもないので、はっきり固有名詞を出して書いてみようと思う。
要するに、この文章に限らず、日頃から、残り少ない人生(と言いながら意外と長生きするかも)、他人を中傷したり誹謗するのでなければ、本当に言いたいことを歯に衣着せずに書いていこうと考えているからだ。ただし有名人や政治家など公人はこの限りではないが。
ことの発端は、現在進行中のホセ・マリア・シシリア展の作品紹介や論考を収録する本にかかわることである。本はとうぜんバイリンガルのものになる。私のシシリア論は、先日ハビエルさん訳の完成原稿が届いた。『原発禍を生きる』でもそうだったが、一箇所固有名詞を訂正した以外、文句のない出来栄え、さすがハビエルさん、と感心した。ところで問題は、アントニオ・ルカスという評論家のシシリア論翻訳を任された佐藤るみさんから、作品名の一つの日本語訳について相談を受けたことから始まった。
「Youtubeに投稿された、南三陸、仙台、大船渡といった東北地方沿岸部の様々な場所で起きたことを収録するビデオから誕生した。ビデオの音声を2次元の画像に変え、当初の困惑と驚きを表現している。困惑と驚きは後に無、無の迷路となる。人工大理石にアルミフレーム。200×200cm」(Dossier からの引用)という作品のタイトル “ausencia” の訳である。
確かに解説文の中に「無」という言葉が二度も出てくるが、しかし作品名を Nada(無)ではなく Ausencia としたのは何故か? そこにこだわったことから結果的には私の迷走、いや徒労に終わった思索が始まった。切れ切れに聞こえてくる叫び声、絶叫、それが不意に止み、耳を聾する音以上に不気味な静寂が続く…それは無というより在るべき物(この場合は音声)の不在…そう、適切な訳語は「無」より「不在」が正しいのではないか。つまり有(ente)の反意語(antónimo)の無(nada)ではなく、presencia(現前・現存)の反意語であるausencia(不在)が。
しかし前述したように、作業はどんどん先に進んでおり、さらに Dossier にはその作品名として既に「Ausencia(無)」と表記されていたのだ。そしてスペインからは作者のシシリアさんご自身が既にコーディネーターとの合意のうえで「無」と決定しているとの返事。
要するに作品名に関する私の「介入」は、クレージキャッツの植木等流に言えば、「お呼びじゃない? これまった失礼しました!」というわけだ。(こんなギャグを出しても、さてほとんどの人は分からんか)
私としてはこの二日間、なんとか適正な訳語を見つけようと努力したのだが、要するにご迷惑な差し出口だったわけだ。救いは当事者の一人佐藤るみさんからねぎらいの言葉と一緒に「私にとっては、たいへんいいお勉強となり、先生の仰ることにどれだけ深い意味があるか、今後、翻訳に向き合う時の「姿勢」というものをあらためて考える、最良の機会となりました。」とのコメントをもらったことである。そう、これを諒として、すべて忘れることにしようっと。
白状すると、訳語の「無」は決定済みだとの返事をもらったあとも、作品紹介の他の箇所で日本文化の伝統と重なり合う考え方が紹介されていたことを思い出して、「不在」が駄目なら日本文化の中枢にある思想の「無常」はどうですか、とダメモト(これも死語かな)で提案してみたのだが、それへの返事は遂に来なかった。
ところがである! るみさん訳を改めて見てみたら、なんと彼女の試訳ですでに ausencia「無常?」と書かれていたではないか! あゝ無情! 一巡して振り出しに戻った感じ。もう止ーめた。ご苦労さんでした、お疲れさんでした!(これ自分に向かって言ってます)。
何はともあれ、気持ちを入れ替えて、ばっぱさん101回目の誕生日(プロポーズとちゃいます)おめでとう!
バッパさんの好きだった八木重吉にこんな詩がありました。
うつくしいもの
わたしみづからのなかでもいい
わたしの外の せかいでも いい
どこかに「ほんとうに 美しいもの」は ないか
それが 敵であっても かまわない
及びがたくても よい
ただ 在るといふことが 分かりさへすれば、
ああ ひさしくも これを追ふにつかれたこころ
世の中には見せ掛けの美しいものが散乱し、それを「ほんとうに美しいもの」と錯覚してしまっているのが現代人のように思います。バッパさんの生きる姿勢に何故か私は「ほんとうに美しいもの」を感じます。
バッパさん101歳お誕生日おめでとうございます。
佐々木先生
週末、おっさん3人で、小高でボランティアに参加し、翌日は、さらにおっさん2人が加わり、5人で、宮城の海岸沿いの被災地を回って昨日帰って来ました。
南三陸、女川、石巻を訪問したのですが、やはり実際に現場に行くと被害の凄まじさが直接伝わって来ます。女川ではビルが一棟丸ごと横倒しになっていました。石巻では津波から奇跡的に助かった男の人からその時の様子を教えていただきました。
南三陸の防災庁舎跡もそのままになっていました。ここは、遠藤未来さんという若い女性職員が最後まで避難を呼びかけた所で、未来さんはそのまま津波にさらわれました。この時の様子は今でもユーチューブで観られます。
髙良留美子さんが、津波(わたし)を主体とした形式で、この未来さんを追悼する詩を書きました。『現代詩手帳』から引用します。「あの女」の「女」は「ひと」と読みます。
その声はいまも
髙良留美子
あの女は ひとり
わたしに立ち向かってきた
南三陸町役場の 防災マイクから
その声はいまも響いている
わたしはあの女を町ごと呑み込んでしまったが
その声を消すことはできない
”ただいま津波が襲来しています
高台へ避難してください
海岸近くには
絶対に近付かないでください”
わたしに意志はない
時がくれば 大地は動き
海は襲いかかる
ひとつの岩盤が沈みこみ
もうひとつの岩盤を跳ね上げたのだ
人間はわたしをみくびっていた
わたしの巨大な力に
あの女は ひとり
立ち向かってきた
わたしはあの女の声を聞いている
その声のなかから
いのちが甦るのを感じている
わたしはあの女の身体を呑みこんでしまったが
いまもその声は 私の底に響いている
髙良さんはこの詩に付言をしています。少し長いのですが、髙良さんの思いがよく伝わって来ますので、引用します。
語り継がれてきた本来の神話は、自然の恐ろしい貌を描いて人間に警告してきた。自然を畏怖することを教えてきた。カーリー女神や破壊の神シヴァ、黄泉の国のイザナミ、、、。しかし人は恐ろしさから眼を背け、矮小な神話を作り上げた。「大日本帝国は不滅である」「津波はたいしたことない。」「原発は安全だ。」真実を見据える者は、疎まれ無視された。犠牲になるのは、今後も弱いものたちなのだろうか。
東北の巫女たちよ、シャーマンたちよ、よみがえって語りはじめよ。
宮城の被災地は悲惨さはそのままでありながら、活気もあって、地元の人たちは前向きな感じがしました。人々に明るさすら感じました。南相馬とはそこが違うように思いました。やはり原発被害の差かと思いました。
今回訪問したお宅では家は取り壊すことにして市に申請したそうですが、順番待ちで、700何番目だとのこと。
ただ、嬉しい話ですが、今回のボランティアには横浜の中学生が一人参加していました。お母さんの実家が福島で、夏休みにこちらに来ていて、参加したとのこと。一生懸命働いていました。
それから、前々回参加したとき、多分80歳中頃の腰が90度くらい曲がったおじいさんが「ボランティア」として参加していました。びっくりしましたが、でも、草刈りなんかは私たちよりずっと手慣れているでしょうし。でも、参りました!感服。。。
それでは失礼します。
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