ここに生きる

以下の文章は、月刊誌『カトリック生活』3月号に掲載されたものである。先月、編集長の関谷義樹神父さんに拙宅でインタビューを受けたおり、私はいつもの通りまとまりのない話をしたのだが、それを実に手際よくまとめてくださった。今号で1017号となる週間誌大の全頁アート紙の月刊誌で、3月号の表紙を飾るのは、雑草の生い茂った小高駅の鉄路である。これは写真家でもある神父さんを私が案内した折に撮られたもの。日本だけなく世界中の美しい景勝地や史跡を被写体にしてこられた神父さん(写真集やカレンダーがあります)の撮影時の思いはいかなるものであったか。それを想像するとき、見る者もまた改めて胸を締め付けられる思いがする。
 ともあれ、「福島からの問いかけ」を特集とする今号は、被災者から見ても実に行き届いた編集がなされていて、これが200円とは驚きである(別に宣伝費はもらってません、念のため)。でも〔念のため〕発行所を書いておきます。
〒160-0004 新宿区四谷1-9-7 ドン・ボスコ社


ここに生きる ――南相馬での新たな決意


震災直後のこと

 この辺りも震災の後は8,9割の人が避難していきました。町は閑散として、近所は夜、真っ暗でした。でも私は無謀にここに残っていたわけではありません。絶えず環境放射線値をチェックしていました。飲料水も一日遅れでしたが、全部データは出ていて問題ありませんでした。初めから放射線値は、飯舘村や福島市や郡山市よりも低いと出ていました。あとは風向きも気を付けていました。放射線の性質はペスト菌のように伝染しない、そしてサリンとか炭疽菌のように即死につながらないという二つの原則があります。毎日測定しているわけですから、距離の保ち方によったら大丈夫だと思いました。
 みんななぜあわてて逃げたかというと、政府や国の公的機関に対する不信があって、公式のデータは嘘で、もっと状況はひどいと信じ込んだからです。そしてツイッターなどの通信機器からのまことしやかな「真実」に踊らされてしまったのですね。放射能は目に見えないから怖いという情報だけが繰り返されて、これに洗脳されてしまった。もう少し落ちついていればよかったのですが。
 私は公的見解や発表された数値をひとまず(暫定的に)信じました。もし報道されているよりもっと深刻な事態があったとしたら、この狭い列島逃げ回っても意味がないだろうと考えました。だから最悪の状態、たとえば死を想定してそこから逆算していき、ここまでは大丈夫だと考えればいいと思いました。でも多くの人はそうではなく、たえず不信とか恐怖を足し算して不安に取り込まれていったのだと思います。
 当時、いろんな新聞が被災地の報道をしていて、南相馬市から福島市のある公園に避難した若いお母さんとお子さんの記事がありました。放射能が怖くて逃げてきたとある。しかし、その場所は当時ここの4倍の放射線量があったのです。もちろん「ただちに」の健康被害はないという線量ですが。私はここに残っていましたが、電気も水も通っていたし、線量もずっと低かったのです。けれど新聞記者がそれを理解していないし、避難している本人も避難しているというムードの中に飲まれて客観的になれてない状態でした。そういうおかしなことがいっぱいありました。
 一番気の毒だったのは老人、病人です。当時、南相馬市だけで半年で293人亡くなりました。無意味な搬送をしたことが原因です。医者も逃げ、夜道をわけのわからないうちに、カルテもつけられず車で連れて行かれた病人や老人たちがたくさんいました。それについて誰も責任を負っていませんよ。ある病院の院長は、私は間違っていなかったとさえ言っています。想定外の展開だったと。反省がまったくないのです。でもこれは医師法違反どころか過失致死に近い犯罪ではないですか?
 当時、98歳の母が近くのグループホームにいて、普段は十数人のスタッフがいたのですが、ほとんどのスタッフが避難していなくなってしまいました。もちろんスタッフの中には家が津波に流されてしまった人もいるでしょうから、家族と共に避難するのは理解できます。でも、避難指示区域ではないところのスタッフもいたはずです。でも逃げました。立派な職場放棄ではないですか?
 日ごろ、老人のために誠心誠意やりますと言っていた人がほとんど逃げた。それで「すいません。おばあさん、引き取ってください」と言う。私は母をよろこんで引き取りましたが、そのときに、引き取り手がいない老人が三人残っていました。行政の判断は、その三人をここより放射線量が四倍も高い阿武隈山地の霊山の施設まで送ったのです。そういうでたらめなことがありました。でも、そのあとの反省は一切ありません。想定外という言葉でごまかしています。


過剰な報道による二次災害

 震災後、絶えず流される報道は原発事故関連のことばかりです。しかし、きちんと物事を見極めて報道することがなく、上っ面を並べているだけです。
 南相馬市の一つの問題は、過剰な報道によってストレスが蓄積されてしまっていることで、これはとても深刻だと思います。今でも毎日、地方テレビ局は環境放射線値を伝えます。事故直後からほとんど同じで変化はないのに。行政はお化けみたいな線量計をそこらに設置しているので、絶えず意識がそこに向いてしまいます。家族で楽しいはずの団欒も放射能の話になってきます。逃げるなら別ですが、ここで生活すると決めた以上、もう考えないほうがいいわけですよ。
 テレビ番組もここを悲劇の町としてだけ扱います。私たちもそういう映像を見ていると、自分がとんでもなく異常な所にいるような気分になってきます。ですから、私はある時期から、もうそういう番組を見ないことにしました。読むと腹立たしくなってくるので新聞も読まなくなりました。
 沖縄戦によるPTSD(心的外傷後ストレス障害)症状を60年以上たってから発症する患者が数多く存在することを発見し、長らくその治療にあたっていた蟻塚亮二さんという精神科医によると、南相馬も似たような症状が多発しているそうです。鬱(うつ)とは診断されないけれど「慢性的な気分の落ち込み」が続き、生活が崩壊したり自殺が危惧されるケースが多いといいます。普通の生活を送っていて表面はなんでもないのですが、将来に対する希望が消えて「ああ、死んでもいいか」とふっと思う危険だと。これは過剰な報道による二次災害といえます。


見えてきた日本という国、日本人の姿

 南相馬市は微妙な場所で、警戒区域、緊急時避難準備区域、原発から30㎞超えてなにも指示が出ていない区域と、三つの層から成る町ですから、いろいろなことがよく見えた場所でした。ここは悲劇と喜劇が織り交ざっている町です。純粋な悲劇もありました。線量が高くて逃げなければならなかった人たちがいたし、津波被害で死者も出ました。そして、微妙な悲喜劇。そして完璧な質の悪い喜劇がある。行政の、そして人間の愚かな姿が表れたことです。ものを考えないということによって出てきたいろんな喜劇がある。笑えればいいのですが、笑えない喜劇です。
 私は、認知症の妻の介護もありましたし、最初から覚悟を決めてここに残ろうと思いましたから、動かないことでいろいろ見えたのです。自然科学には位置を定めてする定点観察というものがありますが、私は必然的にそういう位置に立たされていたのだと思います。
 そして日本の本当の病巣は何かということが見えてきました。今は日本全体の重心が高く、浮き上がっている状況だと思います。日本社会というのは本当にひどい社会になってしまったと思いました。震災後、液状化現象が問題になりましたが、これと同じく魂の液状化現象が広がっていると。自分で考えない、判断しない。日本は法治国家で国民の遵法意識が高いといわれますが、そうではなく、言葉は悪いですが、国民は家畜化されて飼いならされた状況なのです。非常時のなかで有効に活用すればいいものがたくさんあるのに、優先順位を間違えてマニュアル通りでしか動けなくなっているおかしな民族になってしまったのです。教育においても物を考えることを教えていません。自分の目で見て、自分の頭で考えて、自分の心で感じて判断するという人間教育というのがないのです。
 復興とかいうけれども、行政に全部まかせています。本当の復興は点と点が結びついて、つまり何人かの人が戻って住んで励まし合って線になっていくのが、それが本当の復興だと思うのです。終戦後の日本は国そのものが崩壊していたから自分たちでがんばるしかなかったのですが、今は全部依存体質になって自分で何かをやるという力がない。補償待ちも問題になってきました。仮設住宅でも、町や村の違いで補償金の額が違ってきて、それで喧嘩になったりする。依存体質のなかで人間がさもしくなっているのではないでしょうか。
 もともと日本人は、武士道においても、“武士道といふは死ぬことと見つけたり”とあるように、死ぬことを覚悟してそこから生きることを考えてみようという美学とか美徳をもっていました。死を考えて、そこから考えれば正しい筋道ができると。しかし、今はまったく逆で本来の美徳をかなぐり捨てて、利潤、快楽、便利さを追い求めてきて、まだそれでも懲りない日本人がいます。無限に便利になっていくという幻想のなかに生きています。ヨーロッパは伝統を引きずっているのでブレーキがかかりますが、日本ほど近代において進歩主義を純粋に迷いなく受け継いだ国は他にありません。これがどれほど恐ろしいことか。原発事故というのは日本人にとって警鐘のはずなのですが、警鐘を警鐘として捉えていないということが一番の悲劇だと思います。原発事故よりは、今置かれている日本人の姿のほうがはるかに怖いですね。


ここに生きる

 最近は、沖縄のことをよく考えます。本土の人はどれだけ沖縄にひどいことをしてきたか。それに対してどれだけ沖縄の人が辛抱強く戦ってきたか。構造的にいうと沖縄の米軍基地問題と福島の原発は同じです。効率的に考えれば東京湾に原発を建てたほうがいいのに、リスクを福島に押し付けた。人が少ないし反対運動が出ても、お金で解決したのです。沖縄に対してもそうです。
 原発事故も、その事象だけを見るのではなく、長い人間の歴史、とくに日本の、そして東北の歴史の一つの出来事として見ると何かがわかるはずです。東北は収奪の歴史を繰り返されてきました。その歴史の一つの結果としてのこの事故があったと見ることはできないでしょうか。これを機会に東北の歴史を取り戻せたらと思います。
 東京など各地で反原発の集会をやっていると聞きます。当然の主張ですが、でも被災地住民としてはときどき違和感を覚えます。もちろん反原発をもっと主張して欲しいと思います。ただ被災者の苦しみを踏み台にして欲しくないのです。予測を含めて被災地がどれだけ悲惨であるか、と強調されるたびに被災地住民は心理的に追い込まれるからです。原発自体が、ものすごく反自然であり、反人間的であるから原発に反対する。これが原点で、そこから出発して欲しいのです。
 ここに生きる、ここに拠点を持つということ、そういう人が増えて、時間がかかるかもしれませんが、そこからゆっくり広げていけばいいと思います。この中で見えてくるものを、さあ一緒に頑張って育てていきましょうと言いたいです。
 今のこの瞬間、この土地で、この生き方を貫きとおすことによって希望を見出していきたい。ここで生き、ここで一生を終えると私は決めました。ここを動かずにじっと耐えながら、花が咲くのを待ちたいと思います。その中で萌え出てくるものをいつくしみ、ここで生きるための力を汲みとっていきたいです。現実を捨てて、ユートピアをとることはしたくはありません。現実には苦しみも悲しみもありますが、それも私にとっては宝ですから。今ある現実を全的に受け止め、そこにあるわずかな光を大事にしていきたいですね。ローマの詩人ホラチウスの言った「カルペ・ディエム!」、つまりこの日を掴め、今という時を大切に、という気持ちで生きていきたい、いや生きていくべきだと思います。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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ここに生きる への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     先生が最後で言われた言葉に感動しました。

     「現実には苦しみも悲しみもありますが、それも私にとっては宝です」

     私も先生のような境地が理想なのですが、まだまだあらゆる面で足りません。ここ二年余り、自分なりにモノディアロゴスと向き合って、考え、出来ることを少しずつ行動し、そして反省し、自分の生き方を軌道修正してきました。しかし、自分の「魂の重心」はまだまだ高いと自覚しています。魂の平安というものが何なのか。それは、モノディアロゴスを拝読して感じたことですが、「魂の重心」を低く保てれば自ずと得られる感覚のように私は思いました。そして、「待ちたい」という言葉に、先生の生き方から醸し出された魂の平安を私は感じます。

     「ここで生き、ここで一生を終えると私は決めました。ここを動かずにじっと耐えながら、花が咲くのを待ちたい」

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