お粗末!

先ほど福島大の同窓会組織吾峰会の事務局長を名乗る男から電話があった。先日の問いかけへの何らかの回答かな、と話すうち、要は名簿は個人情報保護条例のため会員死亡の場合は遺族であれ頒布することはできない、というものだった。唖然とはこのことなり。かつての会員、しかも一時期は理事であったばっぱさんの霊前に供えようと、別に欲しくもない名簿を大枚何千円(申込書は捨ててしまったので分からないが)かを出して購入して進ぜようか、との問い合わせに、保護条例を持ち出すこの了見の狭さ。一挙に我がロートル湯沸かし器が沸点に達して、「そんなものこちらからお断りすらーっ」と怒鳴って電話を切った。
 でも後から考えてみると、名簿購入うんぬんの問題でないぞ、ということに遅まきながら気がついた。つまり会長宛てへの丁重(慇懃?)な問いかけに何ひとつ答えていないことに気づいたというわけだ。で、さっそく事務局に電話した。受付の女の子(?)に事務局長を呼び出してもらうと、怒りを抑えて要件を切り出した。

「先ほどは名簿のことだけ言ってたが、肝心の問題、つまりかつて亡母が会ならびに会員に問いかけた問題について現在の吾峰会はどう考えておられるのか、それについて一切の回答がないのはどうしてか」
「いや吾峰会としてはそのような問題に対しては、とくに態度を決めているわけでは…」
「あなたは事務局長ということだが、もちろん元教員だよね、子供たちの生命に関わる大事な問題について態度を決めてないとはどういうこと? ともかく私は名指しで斉藤会長に問いかけたのだが、その会長から一言も返事がないというのはどういうことか?」
「いえ会長は毎日来ているわけではないので…」
「毎日来ている来ていないの問題ではなく、しっかり返事をもらいたい」
「いえその、吾峰会はそういった組織ではないので…」
「おやおや大事な教員を育てる組織が、ひたすら責任逃れに汲々とするいまの日本社会の縮図そのものとは呆れてものも言えねえ、もういい勝手にしやがれっ!」

 そこで電話を叩き切った。あゝ、情けない。ばっぱさーん、これが今の日本の教育界だどーっ!


※追記 気がついてみたら、かつての会員そして理事の死去という事実に対して一言のお悔やみの言葉も無かった。原発事故後の死者に対する市役所や銀行の対応と寸分違わぬこの姿勢。
「杉作!日本の夜明けはまだまだ遠い先じゃぞ!」 南相馬の鞍馬天狗より。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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お粗末! への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     平成八年の吾峰会でのばっぱさんの原発の安全性に対する問題提起を会員の人たちや報道関係者が真剣に議論し、継続的に問題点を検証し具体的な対応策をマニュアル化していたら3・11による原発事故を防ぐことは出来ないにしても、事故を最小限に食い止め事故が起きた直後の住民の安全確保も速やかに対応出来たのではないかと私は思います。危機管理能力とは常に最悪のシナリオを想定して、そういう状況に万が一なってしまっても再生できる道筋を具体的に持っていることだと思います。現政権にしても教育界にしても、万が一は無いものと見做して、実際にそれが顕在化すると誰もが責任を取らない、正に先生の言われるとおり、「日本社会の縮図そのもの」だと思います。『虹の橋』の中で、ばっぱさんの歌に、真の教育者としてのあり方、教育の核心を詠んだものだと私は感じます。

     簡素なる部屋に小さき机あるのみ 人をつくるは人にてありなむ

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