秋を愛する人は

ウナムーノの霧からなんとか抜け出せたと思ったら、今度はオルテガ哲学の隘路の中に迷い込んでしまった。スペイン語原文や英訳でオルテガの作品やらオルテガ論を読むのは本当に久しぶり。下線や鉛筆書きのメモなどを見ると、明らかに一度は読んだ箇所なのに、読解力が衰えた現在、その意味がすぐには立ち上がってこない悲哀を味わっている。
 しかしめげずに強引に読んでいくと、少しずつだが意味が見えてくる。かなり錆び付いていたらしい脳の表面(?)からわずかながら古くなった角質層(?)がこそぎ落ちていくような感じがしてくる。そうなると、徒労感というより一種の爽快感(?)みたいなものにも恵まれ、そのうち視界も開けてくるだろうとの期待感も湧いてくる。
 だが邦訳されたウナムーノやオルテガ著作集を読むと、今度は逆に(?)いずれの作品にも誤訳やら不適切訳がかなり残っていることに気づかされる。でもそれらを一人で、しかも残された時間内にいちいち修正していくのは明らかに無理。だとすれば、ウナムーノやオルテガを自分なりにしっかり読み直して、自分がこれから書くものにそれを反映させるしかないだろう、なんて偉そうなことを考えている。
 それにしてもいわゆる学界情報なるものを知る機会が絶えてなくなった現在、果たしてスペイン思想を読んだり研究したりしている若い世代が存在しているんだろうか、などといらぬ心配までしている。なぜなら、今回スペイン思想を読み直すことによって、いま私がぶつかっている問題、つまり近代ならびにその価値観の再検討、もっとはっきり言えばそこからの脱却という課題に、スペイン現代思想とりわけオルテガの思想がすこぶる強力な支柱を与えてくれていたことに改めて驚嘆しているからだ。1930年、あの『大衆の反逆』をもって既に大衆社会の出現とその危険に対する警鐘をいち早く鳴らしていたことを、改めて確認させられてもいる。なんとしても彼の思想を出来る限り多くの人に知ってもらい、それを後続の世代にも伝えなければ、と思う。
 幸い現在オルテガを読み始めた青年が地元にも一人出てきた。彼は大学院で哲学を専攻し、そのうえ現在スペイン語を学びながらオルテガ作品と苦闘している。しかし彼のような本格的な読み方をしなくとも、邦訳された作品をゆっくり読むことによってオルテガの中心思想に充分肉薄することができる。もちろん私も可能な限り手伝うつもり。だから彼だけでなくもっと多くの青年たち、いや別に年齢に関係なくやる気のある人たち、が出てこないかな、と願っている。苦し紛れ、いや悔し紛れに言うのではないが、大学なんぞに行かなくても、この南相馬でもやる気さえあれば大学レベルの知識や理解力など充分修得できる。もちろん私のような指導者がいれば、の話だけれど(エヘン!)。いや冗談じゃなく、勉強したい人には喜んで講義しますよ。
 話は具体的になるが、「メディオス・クラブ」と「サンプラスイチ語学塾」との関係、についても早急に皆と相談して格好をつけなければ、と思っている。現在、■先生と西内さんの大変な努力によってこれまで月一の割合で「平成ふるさと講座」が中央図書館で行われ、毎回50人近くの受講生が集まっているし、12月6日の川口彩子先生と菅祥久先生のいまや恒例となったコンサートも今回で四回目、今年はフルートの浦崎玲子さんも加わっての楽しい演目が予定されているが、これもメディオス・クラブの活動の一つに数えさせてもらっていいだろう。来年は外から講師を招いての各種講演会も考えている。どなたか興味のある方は、一緒に企画段階から参加しませんか。
 ともあれ近く関係者が一堂に会しての話し合いをするつもりである。
 今日はスペイン思想の話から始まって、メディオス・クラブの動向まで、話はとりとめも無く広がってしまったが、最後はまたオルテガがらみの話に戻ろう。最近は、積ん読状態にあった古い本を引っ張り出してきては思わぬ再発見をすることが多くなったが、今回ご紹介するのもそのうちの一冊。木庭宏著『ハイネとオルテガ』(松籟社、1991年)である。むかし題名につられて買ったまま放置してあったものを、このあいだ書棚の隅から見つけてきたのだが、これがなかなか面白い。ハイネ、そう「四季の歌」の

 秋を愛する人は 心深き人 愛を語るハイネのような ぼくの恋人

のあのハイネである。十九世紀前半に活躍したユダヤ系のドイツ詩人でフランスの七月革命を契機にパリに亡命し、その地で死んだ愛と革命の詩人だが、ドイツ文学者の木場氏は彼とオルテガの時空を越えた深い類似性を実に興味深く書いている。つまり大衆社会の批判者として両者の思想が強く共鳴音を発していることを教えてくれている。木庭氏はこんなことも言っている。

「要するに、オルテガの考えからすれば、日本の戦後社会(いや世界全体と言うべきかもしれない)の在り方は、根本的にパースペクティヴの取り方を間違えた、まったくアベコベの社会だ、ということになるのだろう。…(中略)…集団的まとまりの優先、歴史的過去の自己否定、ヨーロッパ文化の機械的注入による、真正な自己の喪失という三点において、現実にはオルテガの【大衆】の定義【大衆批判=貞房注】をかわすことがわれわれ日本人にとってどれだけ難しいか…」

 ハイネという思わぬ助っ人の発見で嬉しくなって、彼の『歌の本』、『ロマンツェーロー』、『冬物語』(何れも岩波文庫)まで買ってしまった、もちろんあの破壊された価格で。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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秋を愛する人は への3件のフィードバック

  1. 阿部修義 のコメント:

     先生が『スペイン文化入門』の中の「民族とその風土」でこう言われています。

     「スペインは光と影の国と言われている。陽気であると同時にどこか悲しい国である。この【愁い】【悲しみ】はどこから来るのか。それは広大無辺の宇宙の中に【孤独者】として対峙せざるをえない人間の悲哀であり、しかもその悲哀の中から、勇を鼓して自己発見の冒険に乗り出さざるをえない人間の【覚悟】からくる。現代スペインの哲学者オルテガ(1883~1955)は、【広大なラ・マンチャの平原の真ん中にただひとり、ドン・キホーテのひょろ長い姿が疑問符のように背をかがめる】と書いたが、事実ドン・キホーテは人間存在の不可思議をさまざまに問いかける疑問符と言えよう。」

     私はドン・キホーテを思う時に、倫理的なものは、ただ個人の内にのみ出現するのではないかと考えました。集団の中においても世の中の秩序、調和や平等を維持し厳守し続けるものは、個人の価値(倫理的価値性)の大小にかかっているように思います。それゆえに、ドン・キホーテはラ・マンチャの平原にひとり佇む「愁い顔の騎士」でなければならない人間社会の必然性があるように私は感じます。

     人間が集団化すると動物化する傾向にあるという人間存在の不可思議さ。ひとりでは決して考えも思いもつかないような愚劣極まりない行為も集団を組むと顕在化する傾向にある、これも人間存在の不可思議さなんじゃないでしょうか。高尚な心や良心は個人の精神の中に宿るもので、集団が個人に影響をしばしば与えてしまう今の時代では、社会の無気力化と堕落が始まり、それにおいて社会は当面している問題を理解し解決していけない、オルテガのいう「大衆」には非常に危険な意味が含まれているように思います。日本中のさまざまな場所にラ・マンチャの男が存在する土壌を作る、まさに先生はラ・マンチャの男その人だと私は確信しています。

  2. 牧田凌平 のコメント:

    東京でオルテガの「大衆の反逆」を個人的に読みながら勉強している大学三年の者です。もし可能であれば佐々木先生にオルテガについてご教授いただきたいです。
    よろしければメールドレスにメールしていただけると嬉しいです。
    よろしくお願いします。

  3. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    牧田君
     君のアドレスにメールしましたが、そういうアドレスはありません、とのコメントがついて戻ってきました。私のEメール・アドレスは
     fuji-teivo@nifty.com です。そちらに直接メールしてください。

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