小川国夫さんが亡くなられたあと、綏子夫人が本を出されたことはなんとなく知っていた。震災前、小高区浮舟文化会館の「埴谷・島尾文学資料館」を静岡からご夫婦で訪ねてこられたSさんからは、夫人自身が闘病生活をされていることも聞いていたので、そんな中よくも書かれたな、と思いながらも、すっかりご無沙汰したまま今日に至っている。
先日、たまたま同人誌「青銅時代」のことを考えていたとき、やはり一度その本を読んでおくべきだと思いアマゾンに注文した。実は49号の特集「小川国夫の文学世界(1)」を出したあと、次号からは南相馬に本拠地を移すことが同人総意の上で決められ、私もそれを引き受けたはいいが、その直後、原発事故が起こり、そして実質的な編集長Hさんが、どういうわけか音信不通になったままというのが現状。それにしてもそろそろ第50号のことを考えなければ、と考えたそんなとき、小川夫人の本のことを思い出したのである。
届いたのを見ると、二年前に岩波書店から出たもので、なんと第七回「小島信夫文学賞・特別賞」を受賞していた。作家の奥さんの中には、時にはご主人より文才があるのでは、と思わせるような書き手がいる。もちろん文才があることと、優れた作品を作り続けることとは同じではないが、私の知る限り島尾ミホさんや武田百合子さんがそのいい例で、数は少ないながら実に見事な作品も残されている。
作者名を本名の綏子(やすこ)ではなく恵(けい)としたのはなぜか理由は分からないが、それにしても110ページほどの中に短い18篇が収められたこの『銀色の月』は、読後、何百ページもの長編を読み終わったときのようなずしりとした充実感が残る。売れない習作時代から五十年余、ひたすら夫の作家活動の黒子に徹した生涯を、夫亡きあと「残された、この私なるものは何であったか、…亡き夫を鏡にして、私を照らし出せば、ぼんやりながらも自分の姿が映るのではないか」と書き出した文章群だが、どうしてどうして、綏子夫人のその時々の映像が読む人の脳裏にくっきりと残る。
初め、「門前の小僧、習わぬ経を読む」のたぐいかと思ったが、結婚して間もなくの大森時代、或る映画会社主催のエッセイ・コンテストに内緒で応募して入選し、その賞金で夫同伴で北欧ノルウェイに旅し、その帰途、夫の苦学時代の思い出の地パリに寄ったというからもともと文才があったわけだ。
島尾敏雄が突然藤枝の自宅を訪ね、そのあと朝日の「一冊の本」というコラムで彼の作品を高く評価したことで、彼が広く世間にその存在を知られるようなったことはいまや有名な伝説になっているが、それからしばらくして(イエズス会を出る直前)私自身も彼の家に泊めていただいたことがある。「中庭に建てられた四角い六畳間の仕事部屋」、執筆に疲れると深夜でも歩いたという周囲1.5キロほどの蓮池など、半世紀ほど昔の私自身の小川家訪問のことも懐かしく思い出した。
長男をみごもっていたころ、出版社の翻訳の手伝いで外泊した夫を住所を手がかりに訪ねた時のことを描いた「二丁目のこおろぎ」、その後日談の「続・二丁目のこおろぎ」にはまいった。新妻の哀切極まりない思い出、そしてかりそめにも一夜夫を奪った(らしい)女に対する生涯消えることのない女の怒りに胸を打たれる。美子がこれを読んだら、一気に夫人の熱烈なフアンになっただろう、などと思いながら読み終えた。
これなど「門前の小僧」なんてとんでもない、世間に名だたる女流作家たちも「跣(はだし)で逃げる」ほどの逸品である。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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