ホウカンさん

先日、我が家を初めて訪れた訪問看護ステーション「えーる」のYさんと話をしているとき、「ホウカン」という言葉が飛び出した。初め何のことか分からなかったが、「訪問看護婦」の略語ということだ。ホウカンと言う言葉は、むかしは「幇間」のことだと例のごとくオヤジギャグを飛ばすところだったが、美子の今後の介護態勢の相談という真面目な場だったので、さすがにそれは我慢した。といって私自身、お座敷遊びなどしたこともない野暮な人間だが。
 ところでその訪看さんに昨朝はたいへんお世話になった。というのは、何時もより少し遅めの八時十分ごろ眼をさまして横の美子を見ると、ちょっと様子が変である。慌てて顔を寄せると、口から苦しそうな荒い息をしていて、顔面が冷たい。急いでリクライニングを上げて声をかけたが、眼も開けない。二年前、惹きつけを起こしたことがあったが、しばらく経つと平常に戻った。そのときは念のためI医師に往診してもらった。今回もしばらくして平常に戻ったが、やはり念のため訪看さんに連絡。すると十五分も経たないうちに来てくれた。ありがたいことである。
 現在、南相馬市に何人の訪看さんやヘルパーさんがいるのか調べたことは無いが、おそらく全人口比で高齢者が圧倒的に多い当市のような場合、今後ますます訪看さんやヘルパーさんの必要度が増すであろう。自宅介護を始めて間もないのに、口幅ったい言い方になるが、死角がいっぱい(?)の大きな病院での介護にはもともと無理なところがあり、しかも入院は何ヶ月もの順番待ちだという。となると家族の介護を助ける訪看さんやヘルパーさんの存在は貴重だが、果たして彼女(彼の場合も)たちへの経済的な手当てはどうなっているのだろう。おそらく決して充分とは言えないのではないか。
 以前から言ってきた老人と若者の共存・協力の一つの可能性に、こうした訪看さんやヘルパーさんの存在があるが、そのためには彼らへの経済的な保証が適正に行われることが必要であろう。その場合、訪看・ヘルパー専業でなくても何か他の仕事(あるいは学業)とも兼務できるくらいの融通性があってもいいのではないか。
 ともあれ、今回の美子の「異変」は、血圧、体温、脈拍数などにそのあと特に異常が見られないので、おそらくパニック症候群の一つらしい。それで思い出したのは、既にどこかに書いたことだが、二〇年ほど前、夫婦してある招待を受けてバリ島までスエーデン船籍の豪華客船で数日間、まるで竜宮体験みたいな旅をした。そして旅を終えてまた八王子の陋屋生活に戻ったその日の夕食で、美子が突然呼吸困難に陥り、急いで救急車を呼んだことがあった。その時、病院の医師が笑いながら、今度こういう症状が現れたときは買い物袋でもかぶせてやってください、と言われた。つまり環境の激変などで思春期の女の子などに時おり起こる過換気症候群だったのである。
 Yさんも言っていたが、もしかすると美子は人並み以上に感受性が鋭いのかも。でも不安を感じたとしても赤子のように泣くことも声を出すこと出来ない美子。たとえベッドから落ちても痛さで泣くことも出来ない美子。いやそれならまだいい。夜寝るときからの姿勢が朝まで微動だにしない美子。
 でもありがたいことに昨夜は普通どおり夕食を完食。今日も朝から目の力があって、一安心。昼食代わりに焼きプリンにポテトのプチ・ケーキを混ぜ、さらに温泉玉子を二つも入れたのを機嫌よく食べてくれた。
 かくのごとく貞房さん、時おり見せてくれる美子の笑顔にどんな苦労にも耐えられる力をもらって頑張ってます。

※追記 でも私が爆睡中の真夜中だったら、と考えるとぞっとします。これからはより一層注意して介護します。もちろん私自身の健康も注意しながら。おかげさまでこれまでは毎年二回ほどあったギックリ腰にもならず、風邪も引いてません。気合が入っているからでしょうか。また車の運転も気をつけてます。事故を起こしたら、その瞬間から、美子の面倒を見る人がいなくなるわけですから。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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