お知らせ:朝日新聞「withnews」に掲載

このところ残忍な犯罪や忌まわしい事件が続けて起こっています。テロ事件など対岸の火事くらいに思ってましたが、豈図らんや、日本もいよいよおかしくなってきました。そんな折、今朝、時代に取り残されたような或る夫婦の物語が朝日新聞社のサイト『with news』に出ました。該当記事はこちらです。記者は先日の「グローブ」同様、浜田陽太郎さんです。ぜひご覧ください。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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お知らせ:朝日新聞「withnews」に掲載 への3件のフィードバック

  1. 立野正裕 のコメント:

    さっそく記事をシェアさせていただきました。それと同時に以下のような文言を添えましたのでお目にかけます。
    「少し前にお二人の婚約時代の往復書簡集『峠を越えて』を感動とともに読みました。それから『モノディアロゴス』の第一巻も最近読みました。それらを読みながらわたしに思い出された次のような言葉があります。
    『小さな町や村に住んでいて、外側の世界の大きな出来事が人々の人生の頭上を通過して行くだけのように見えても、同時に人生の内部を通過して行くものに目を凝らして見るならば、後者のほうがはるかにスケールが大きいということもあり得る。人々の人生の小さな時間のなかに、ときに宇宙的な出来事が入ってくるということもあり得るのだ。』
    これはわたしが長年身近に接していた人が、200年も前のある物語をめぐってあるとき発言された言葉ですが、佐々木ご夫妻の往復書簡集、その後お二人が歩まれた人生、夫人の発病と佐々木さんの介護、『魂の重心を低く保つ』ことから見える日々の記録、すなわちモノディアロゴスに書き継がれる佐々木さんの思想の実践、それらに目を凝らし、思いを馳せるにつけ、個人の『人生の小さな時間』が、日本や世界の『大きな出来事』と対等に交錯するさまが、今という時代を生きる一つの確固たる流儀として、われわれの目の前に如実に見えてくるようです。」

  2. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    立野正裕様
     私が密かに(時に大口を叩いて)目指しているものを実に的確に指摘してくださり、ありがたく思います。特に、お気づきのように、ちょっと前、ロートル瞬間湯沸かし器が、年甲斐もなく(いや歳だからこそ)沸騰した後なので、貴兄の温かなお言葉、心に沁みます。
     そうですね、天上天下唯我独尊とは全く違った意味で、この広大無辺の宇宙そして全世界は、このちっぽけなそれぞれの「私」を中心として回っている、と考えてます。それはすべての生きとし生けるものの特権でもあります。幼い者や身障者、そして虐げられた者などの受難や死がなぜ私たちの心に痛切に響いてくるのか、それはそれらの「私」(魂)があらゆる虚飾や粉飾を剥ぎ取られた生の裸形、つまり生の「単位」だからだと思います。
     そんな意味で、犯人はたぶん精神的疾患を患っていたのかも知れませんが、最近起こった残虐な事件に衝撃を受けてます。でも何代前かの湘南の不良出の知事が、胃瘻などで生きている病人を看護するのは都政にとって経済的な損失だとの発言をしたことがあったようですが、今回の事件もそうしたヒットラー並みの考え方が社会の中に淀んでいることの一つの悲しい反映に思えてなりません。

  3. 阿部修義 のコメント:

     あれだけの原発事故があって、南相馬市の人たちの殆どが国からの避難勧告によって自宅から離れた現実を考えると、先生がご自宅に美子奥様と留まられる決断をなされたことを、私はモノディアロゴスを通じて決してその場の勢いとか気分ではなく、先生の生き方から導き出された必然の行動であったと思います。もちろん先生も一人の人間ですから言葉で言い表せない不安や恐怖を感じられていたことは想像できますが、逃げないご決断は自分の介護を必要とされている美子奥様の存在と記事の中で言われているように、まさにその一点に集約されるんでしょう。そういう先生の生き方から、人生において逆境とか苦難、不条理が人の背中を後押し(魂の重心を低く)して、なかなか決断できなかった積年の課題を乗り越えさせてくれる原動力になるんだと教えられたように私は感じます。人間は平穏な毎日の中では決して決断できない人生の大切なことがあると思います。

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