持続する怒りを

テレビをほとんど観なくなって久しいが、それでもたまたま点けた画面にこれはと思う番組が映し出されることがある。一昨夕もそうして点けたテレビに「井浦新 アジアハイウェイを行く」(BS2)というのがあった。観るとはなし見ていたらこれがなかなかいい。中でも中国大都市のネット世代を取材したものには、いろいろ考えさせられた。一人の地方出の若い娘は給料の八割近くがスマホ代で消えていくそうだが、将来への展望を全く持たないであっけらかんとしている。
 おそらく日本のかなりの数の若者たちも似たようなものでは、と考えて暗澹たる気持にさせられた。ところが地方の一人暮らしをしている老婆を訪ねたときに、三人ほどの若者たちがやってきた。彼らはボランティアの組織を作って、助けを必要としている人たちに食料を届けたり家屋の修繕を受け持っているという。もしかして日本のテレビクルーが行くことを察知して、行政当局が仕組んだのではと疑ったが、どうもそれは下種の勘繰りだったようだ。
 これで辛うじて暗い方へと傾きかけた気持ちが平衡を得たが、しかしいずれにしても日本だけでなく中国でも先行きの見えない時代に突入しているという事実だけは確かなようだ。
 続いて韓国に入ったが、セウォル号沈没事故から2年過ぎたのに、今なおその傷痕が深くえぐられたままであるという現実を知った。今でも広場で真相究明の署名運動が続いている。そして毎日のようにそこに詰めている一人の父親、高校生の長男を事故で亡くしたその父親の言葉に胸を打たれた。つまりあの事故は積載量をはるかに超える貨物を積んで、ひたすら経済的利益だけを追い求めてきた韓国社会の矛盾を露呈した事故で、その意味でそれを許してきた父親たち自身の罪は大きいが、でもそれ以上に事故の真相究明をいまだにしていない政治や権力者たちに対する怒りは大きい。
 ついでその事故で大勢の修学旅行の生徒たちを一度に失った海寄りの町の高校を訪ねると、亡くなった生徒たちの教室はあの日以来そのままに保存され、机の上には死んだ生徒たちの写真や遺品が所狭しと飾られていた。おそらく納得がいく為政者たちの説明と今後の対策が表明されるまで、こうして教室そのものが怒りと悲しみの場所であり続けるのであろう。
 これが自然災害による犠牲者だったらこうまで根深く怒りを持続させないであろう。つまり暴風雨による自然災害でもあった以上に、人間の飽くなき欲望が生んだ人為的な事故であったが故の怒りなのだ。こう考えると同じような性格の原発事故に対する日本人の、言葉は適切でないかも知れないが淡泊すぎる対照的な反応を思わざるをえない。あれがまるで自然災害ででもあったかのような扱いを受け始めて、すでに忘却の波に浚われようとしている。
 そう考えると、韓国の人たちの慰安婦問題に対する、日本人から見れば執拗すぎると思われる反応についても認識を改めなければならないのではないか。つまりあの問題が人為的犯罪であった以上、単なる声明や補償金などで収まるはずもなく、心からの反省と謝罪を求めていることをもう一度考え直さなければならないであろう。
 さて最後に、またスマホ問題に返る。頴美の話によると、どこかの子供はスマホ使用料が六十万になった例もあるそうだ。こうなると麻薬被害以上に深刻だ。またある幼児は、訪ねて行ったおばあちゃんの家のテレビの前でしきりに手の平を右や左にひらひらさせたそうだ。これなど笑い話で済ませるが、しかし前から言ってきたようにケータイやスマホは放射線以上の被害を子供たちに与え続けている。
 実は数日前、預金通帳を見たらこれまで月々1,730円で済んでいたオリコ・ニフティの引き落としが急に6,038円に跳ね上がっていた。どうやら息子たちが家族割になるとかで、私の分までNTTからソフトバンクに移したことで違約金が4,000円も取られたようだ。違約金の説明など一切なく、ただただお得になりますとの甘言に騙されて。先日の下品な表現を再度使わせてもらえれば、あわよくばケツの毛まで毟ろうとするあざとい商法が横行している。
 IT企業は今や花形企業となっているが、私からすればまさに亡国のための死の商人と変わらない。スマホやケータイなどはお年寄りと体の不自由な方専用にすべきだくらいの異見を持っている。極論はともかく、子供たちをスマホ中毒から守るため、たぶん当局とか行政は渋るだろうから、親たちが結束して自衛のための方法を本気で考えなければならないところまで事態は進んでいると考えるべきであろう。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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持続する怒りを への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     先日、ポケモンGOの愛好者の群衆がお台場に突然出現して、車道を覆い尽くして交通渋滞を引き起こした報道がありましたが、生身の人間と対話することを敬遠して、そういう流行現象の中に自分をはめ込んで自己満足しているロボット化した生き方を象徴しているような現代人を垣間見たように私は感じました。社会全体が人間の欲望を刺激するためのものを生み出し、作り続け、より楽なもの、より便利なものを制限なく貪欲に追い求めている自制なき大衆を相手に暴利をあさっているのがケータイ、スマホなどの通信機器を扱っている企業、先生の言葉を借りると「亡国のための死の商人」と、ある意味言えるかも知れません。目先の現象に振り回された生き方から自分の存在に根をはった主体性ある人間を作ることが教育に求められているんでしょう。声高にアベノミクスという幻想的経済政策を叫んでいる現政権の支持者が多い日本の実情と無縁ではないように私は思います。

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