思う念力

今月に入ってすぐ、東京と盛岡から清泉時代の教え子が三人訪ねてきたり、一昨日から昨日にかけてはスペインからの客人があったりなどして、今月は黙居老人としてはけっこう変化のある日々を過ごしているが、その間も例の豆本作りは細々と続けてきた。おそらく人は、そんなものを作ったって何の役にも立たないのによくやるよ、と思っているに違いない(そう、あなたも)。
 もうどこかで書いたかも知れないが、私ゃ体が動く限り、というか指先が動く限り、死ぬまで作り続けようと思っている。無駄なこと? そうかも知れない。でも朝から晩まで金儲けのために駆けずり回ったり、あるいはトランプやプーチンに会うためかなりの金を使ってド派手なパフォーマンスを仕掛けてる人だって、やってることは確かに一見建設的で大掛かりに見えるかも知れないが、しかしよくよく考えてみれば、豆本作りとそう大して変わりはない。だってそうでしょ、あぶく銭かせぐために誰かを踏み倒したり、おのれの見栄えを優先させて結局は国民に大迷惑をかけることもあるとしたら、豆本作りなんぞ誰の害にもならないばかりか、いい歳こいた老人にはけっこういいボケ防止にもなるわけで、としたら、こりゃーあなた、豆本作りは実に世のため人のためになる善行でっせ。(それにしてもあの三人よく似てますなー、パフォーマンス好きなところ。)
 一見無駄に見えることを精魂込めてやり抜く。政治家たちのやることはたいていはプラスマイナス・ゼロ、時には差し引きマイナスになることが多いが、しかし世のため、ということなら豆本作りは1ミリの何億分の1かの目盛りを確実にプラス方向に回すことができる。要するに一念(あるいは思う念力)岩をも通すっちゅうわけだす。
 それで思い出したが、いや正直言えばこちらの方が本題なのだが、まさに今日、その「思う念力」が二つもその効果を顕わしたのである。
 一つは、この数日、プリンターのインク・カートリッジがどういう具合か急に機能しなくなり、あわてて使い古しのカートリッジ(まだ使えるのでは、と貧乏臭くためこんでいたもの)を次々とセットしても一向に動かない。中には純正カートリッジなのに「これは当社の純正製品ではありません」なんてとんでもないメッセージを出す始末。えーいっ面倒くさいとすべてを階段下のごみ袋に投げ込んだのだが、しかし夕食後、未練がましく再度ゴミ袋の中から、えいやっとばかりまるでお御籤を引くような気持で薄汚いカートリッジを一つだけ取り出し、祈るような(まさか!)気持ちでセットしたところ、先ほどは一切反応しなかったはずなのに、どうしたわけかちゃんと機能するではないか。
 もう一つ。毎晩枕もとにおいて使ってきたセイコーの目覚まし時計が昨日から動かなくなってしまった。これも夕食後、捨てる前に念のため、机の上で裏蓋を開けて調べてみたが肝心のゼンマイ部分を開けることができない。半世紀近く使ってきたが捨てるっきゃないか、とまた裏蓋を、まるでお棺に入れる前の儀式よろしく丁寧に閉め、そのまま放置して、何分かのあと、ふと目の前の目覚ましを見ると、何となんとチクタクと規則正しく動いてるじゃないの。確かめてみたら、昨日までは一日10分も遅れていたのに正確に時を刻んでいる。
 そう、思う念力岩をも通す、です。さあ皆さんも古いものを捨てる前に、今一度念力を送ってくださいな。
 明日も、これから先も死ぬまで、念力を入れながら豆本を作っていきます。

♪ 翌朝の追記 今朝、実に正確に目覚まし君作動してくれました。これはもう奇跡でしょう。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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思う念力 への3件のフィードバック

  1. 阿部修義 のコメント:

     先生の存在を私が知ったのは、五年余り前の「こころの時代」というNHKのテレビ番組だったんです。表題と文章を拝読していて、その番組に詩人の故坂村真民という方が出演されていたのを思い出しました。なにぶん随分昔のことで、記憶もかなり曖昧だったので、「こころの時代」「坂村真民」で検索しましたら、その番組の題名が「念ずれば花ひらく」ということで、記憶のどこかに「念ずる」という言葉があったので、これに間違いないと思った次第です。

      念ずれば花ひらく

     念ずれば
      花ひらく
     苦しいとき
      母がいつも口にしていた
     このことばを
      わたしもいつのころからか
     となえるようになった
      そうしてそのたび
     わたしの花がふしぎと
      ひとつひとつ
     ひらいていった

     先生の言葉に感動しました。

    「明日も、これから先も死ぬまで、念力を入れながら豆本を作っていきます。」

     

  2. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    阿部修義様
     坂村真民という詩人のこと、恥ずかしながら初めて知りました。さっそくアマゾンで安く手に入る詩集を注文しました。
     いつもいつも的確なコメント、ありがとうございます。

  3. 阿部修義 のコメント:

     澤井さんのブログの中にも確か、この詩人の名前があったのを覚えています。澤井さんの、おそらく、好きな詩人だと思います。私は番組で見ただけで本は持っていません。

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