もともと積載量をはるかに超える重荷を背負いながらよたよた走っている、いや歩いているものだから、中には積み残しならまだしも、積んだことさえ忘れているものも後を絶たない。安藤昌益のことなどその一つである。時おり机下の棚に900ページ近い園山俊二『ギャートルズ』があることに気づいて、そのたびに胸が痛む(まさか!)。つまり高野澄という人が書いた『安藤昌益と【ギャートルズ】』の読後感想を書くと言いながらまだ果せないでいるからだ。
十九世紀初頭、八戸から相馬にやってきた母方の先祖(安藤姓)が果たして昌益と縁(ゆかり)のある者かどうかは、昌益の痕跡自体が杳として歴史の闇に消えているので、詮索は疾の昔に断念したが、彼の思想究明はそれでも時おりはちびちびと進めている。いまも目の前にある、いいだもも著『猪・鉄砲・安藤昌益』(農山漁村文化協会、1996年)をぱらぱらとめくっていたところ、巻末に書かれた彼の文章に感心した。つまりこの日ごろ私自身がぶつかっている錯綜した問題群を実に的確に要約整理しているからだ。
他人のふんどしでなんとやら、を地で行くようだが、この際、背に腹は替えられない(?)。そっくりそのままコピーさせていただく。
「20世紀における大量生産・消費・情報・廃棄型の現代文明が、農山漁村の解体、地球環境・自然生態系の危機、南北格差の増大、諸民族・諸エスニシティーの抗争、社会的自家中毒現象の蔓延、国民国家の漏電現象、諸文明の衝突等々の「世紀末の闇」を露呈しつつあるこの現在、21世紀のオルタナティヴとして社会的生態系の主体的再生・再建を構想する場合、動乱と曲折を極めた20世紀の全経験を踏まえた再考・再審を通して、19世紀における商品・貨幣経済の成長・発展によって一度は忘れられ、20世紀における商品・貨幣経済の寄生的・腐朽的過剰発展の極限においてもう一度蘇ってきた安藤昌益思想を現代的に解き放って、現代世界の生産力基軸国(過剰社会=豊かな社会【アフリューエント・ソサエティー】)のただなかに生きている日本人自身が活学・活用する意義は、きわめてアクチュアルに世界史的意義をもっているということができるでしょう」(本書200ページ)
ところで著者いいだももについては、日本共産党を除名された新左翼としか知らないが、しかしここに引用した短文からだけでも、彼の確かな眼力をうかがうことができる。さっそく彼が訳した※チョムスキーの『お国のために』(河出書房新社、1975年、1・2)を破格の廉価で注文した。もしかするとまたもや解きもしない荷を増やしてしまったかも知れないが。
※共著ではなく彼の訳書でした。訂正します。
カナダ人のノーマンという人の書いた『忘れられた思想家』(岩波新書)という安藤昌益のことを研究した本を買ったことがありました。買った経緯が中国の陰陽思想のことに興味があって、その流れで安藤昌益に辿り着いたように思います。もう20年ぐらい前ですが。ユーチューブに「安藤昌益の思想 青森県八戸市安藤昌益資料館」というのがあったので視聴しました。その中に「互生」、文字通り、相互に依存している関係ということなんですが、これを徹底的に極めたものが昌益の思想の根幹ではないかと私は解釈しています。この世は陰と陽の調和で成り立っている。ですから、江戸時代の身分制度には異を唱え、人間は万民皆平等であるということを主張した人です。人間というものは、放任していると欲望(陽)の赴くまま生きてしまうから、反省(陰)して、欲望を省み、省くようにしていかないと生を循環できないということなんでしょう。先生が、スペイン思想と中国思想の関係性にふれられていたと思いますが、私も何らかの接点があるように感じます。しかし、最後の先生の言葉には先生のお人柄が出ていて、貞房文庫の蔵書の数を私は知っていますので驚愕しています。
「もしかするとまたもや解きもしない荷を増やしてしまったかも知れないが。」
最後に「夥しい」と書きましたが、適切な表現ではありませんので、削除します。非常にたくさんあるということを言いたかったのですが、あまり良い意味には使いません。先生には、大変失礼してしまいました。
全然気になりませんでしたが、仰せのごとく消しました。ところでノーマンの昌益論、岩波新書版は持ってませんが、「全集第三巻」にあることを思い出し、読み始めました。前に一度さらっと読んだ記憶があるのですが、内容はすっかり忘れていました。他の人のものより、ノーマンのものが入門書として一番よさそうですね。それにしてもアカの嫌疑を受けて自殺したとか、なんとも痛ましい、そして残念なことです。これを機会に彼のものを少し読んでみようかなと思ってます。思い出させていただき感謝してます。
貞房先生
ありがとうございます。あまり細かいことはわかりませんが、終戦後、ノーマンは進駐軍のカナダ代表で、共産主義のシンパだったようで、共産党に同情して徳田球一や志賀義雄が牢獄されていたのを助けて解放させるのに手助けしたようなことを聞いたことがあります。しかし、最後はご存知のように、事情は知りませんが、エジプト大使として赴任先のカイロで高層ビルから投身自殺してしまいました。