不便さを楽しむ

特に髭の濃い方じゃないから、三日に一遍くらい安いブラウンのシェイバーで髭を剃る。でもさすが三日目あたりになるとジャングルから出てきた小野田さん(古っ!)みたいになるので慌てて剃る。だいぶ使い込んだシェイバーだけど買い替える気にはならない。今はやりの首振り何とかといった機能もない簡単な代物だが、そったら機能には負けない自前の高性能がある。つまり微妙な角度にも対応するおのれの手首である。
 手首が不自由な人になら確かに便利だろうが、こちとらみたいに不器用ながら手首など自在に動かせる人までが新機種、新機能に飛びつくのは、考えてみれば実に滑稽な現象である。これでは国民全体を徐々に手足不自由児にしてゆくようなものではないか。
 我が家では、いや少なくとも我ら老夫婦の居住空間では、普通ならとっくに張り替えるであろう古ふすまや、とっくに捨てるであろう色あせた色紙など、大切にそのまま使っている。死んだばっぱさんの思い出の品々だからだ。
 最近、断捨離とかいう不思議な風潮が蔓延している。私から言わせればザケンジャナイ!だ。これまで機会あるごとに批判してきた日本全土を覆う「更地の思想」の一つの表れであろう。こうして過去を切り捨てることによって、いよいよ根無し草になっていく。つまりいよいよ宙に浮いていく。
 話は変わるが日テレで毎週放映している「小さい村の物語 イタリア」をよく見ている。地に足をつけた素朴で堅実な彼らの生き方が実に美しい。ところがスポンサーの東芝が合間に流すコマーシャルが番組の内容と大きく乖離している。やたら先端技術の宣伝ばかりで、そうした進歩思想、技術礼賛をこそ考え直さなければならないのに…あっそうか、そうして己れの体質をあえてさらけ出すことで、視聴者の反省を促してるのか。そういえば東芝さん、最近経営が破綻しそうだって? だから言わんこっちゃない。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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不便さを楽しむ への4件のフィードバック

  1. 立野正裕 のコメント:

    佐々木先生、おはようございます。
    ブラウンのシェイバーをわたしも長年愛用しておりますが、今回の旅にはあえてそれを持参せず、代わりに剃刀を携帯しました。手荷物を少しでも軽量にするためです。剃刀といってもどこか日本の温泉宿あたりの洗面台に置いてあったもので、いわゆる使い捨てのちゃちな代物。ところがこいつが十日間のわたしの旅で、毎朝ちゃんと役に立ってくれました。
    右の手首がちかごろ腱鞘炎のため自由に動くとは言いかねるのですが、髭剃りに別段差支えるほどでもなく、慣れると手剃りのほうがむしろ短時間でさっぱりとできます。
    退職を機に、日用品などを少しずつ簡略素朴なものに変えていこうと思っていた矢先でもあり、このまま手剃り剃刀党に戻ってしまいそうです。加齢による「手足不自由」傾向にあらがう意味でも、新機種や多機能型を売り物にしている消費物品の誘惑に対しては、われわれはもっと立ち向かわねばなりませんね。「先端技術の宣伝」に心をふらつかされることなく、「進歩思想、技術礼賛をこそ考え直さなければならない」と、遅まきながら思っているところであります。

  2. 立野正裕 のコメント:

    佐々木先生、
    おはようございます。

    不便さを楽しむ、といえば携帯電話のいわゆるガラ携もそうですね。近ごろスマホ族に圧倒されて、わたしのようにいまだにガラ携を使っている人間はめっきり少なくなりました。それはいいのですが、内蔵電池を交換しながら八年も愛用してすっかり手になじんでいたこの愛すべきガラパゴスくんもとうとう寿命が来たとみえ、機能の一部がマヒしてしまいました。
    誰かに宛てて新規にメールを打つということができなくなりました。宛先をアドレス帳から選び出すことまではできますが、メールを打ち込むことができません。通信欄にカーソルが移動してくれなくなったせいです。円形の決定ボタンの上下左右にカーソル移動機能があるのですが、左右と上には移動することができてもバネが劣化したかして下方にだけは動いてくれなくなり、そのため新規にメールを打つことができなくなってしまったのです。
    アドレスには多数の名前が登録されておりますが、先方から着信がないかぎり、こちらからメッセージを送ることができません。

    先生にメールを差し上げられるのも、いただいたメールに返信するという操作にいったん切り替えてからです。そのため、送信ボックスから受信ボックスに移動しなければなりません。
    そうすると、たとえば着信が数日前でその後ほかの知人から着信があっても、決定ボタンの右横をプッシュしさえすれば過去の受信歴が五件まで表示されます。さらにプッシュするとその前の五件が表われます。それをゆっくりと上に登っていきますと先生からの受信項目にたどり着きます。そこで決定ボタンを押すと返信可能という表示がなされ、メールを打ち込むことが可能になります。
    もちろん、手間がかかり、まだるっこしいのは申すまでもありません。
    昨年の秋からこの機能不全が生じました。

    いいかげんガラ携からスマホに切り替えたらどうなのだと周囲の誰もが言います。わたし自身もしきりにそう思うのですが、この故障しかかったヤツをいまだに使っているのは、わたしがたんに頑固で、偏屈で、ケチなジジイだからというわけではありません。

    ガラ携のよさは右手だけで操作できること、しかも掌の上で親指一本だけで打ち込むことができる点でしょうか。しかし、いちばん捨てがたいのは、打ち込むときの感覚に手ごたえがあることです。
    ガラ携とはいえ相手は先端機器、それが、操作しているときの指の感覚は、まるで手仕事に従事しているときのようなのです。この感覚と手ごたえにわたしは少なからず愛着を持っていました。

    八年前まで、わたしは旅のさなかの旅日記を、パスポート用のポシェットにおさまる薄い手帳に書きつけるのが習慣でした。初めは薄い上質紙の外国製高級手帳を使いましたが、経費節約のため国産の手帳に切り替え、これをずっと利用してきました。
    ところが十数年前よりとみに視力が低下し、手首の関節も痛み始めたため、手帳代わりにガラ携を使い始めたのです。これが意外に手になじんで、全然不都合でなくなりました。しかも、帰国後にこれをパソコンに送れば、いちいち書き写す手間が省けて旅日記をまとめることが迅速にできます。
    八年前、当時としては最も優秀な撮影機能付きの製品を奮発して購入しましたから、たとえば美術館で絵のわきの解説パネルを文言でメモするのが面倒なときなど、カチャリと写し取っておけばあとで参照することもできます。それ以前の旅では、手帳にいちいちシャープペンシルかボールペンで筆写していました。
    二十五年前、ギリシアのある作家の記念館を訪れたときなど、展示物のわきの説明文が興味深いので片端から筆写したのですが、後で時計を見ると四時間近くその記念館にいたことになり、その日はもうほかの見物ができず、宿に引き返すことを余儀なくされました。(クレタ島のニコス・カザンザキス記念館での懐かしい思い出です。)

    先端技術とそれを使う人間との関係は、いつの時代でも、人間に対する一つの「挑戦」であると申さねばなりませんね。
    たとえばグーテンベルク以来、活版印刷が可能となり、それが識字率を飛躍的に向上させ、文学の発展をいっそう市民層に近づけましたが、同時に、それ以前に文学が保っていた共同性ないし開放性が失われることになりました。口承文芸が果たしていた役割が希薄になり、活字による文学は創造も受容も密室性を帯び、孤独な営為となりました。
    いっぽうで聖書や文学が僧院や宮廷から出て広大な市民的空間に入り、市民のあいだに宗教的な媒介とは異なる思考と深い内省の時間を持つことを可能にしたことも事実です。
    近代の大文学、とくに長編小説の普及は、活版技術なしにはとうてい不可能でした。(源氏物語のように活版印刷によらず、それどころか長いあいだ木版にもよらず、根気のいる筆写による伝達に依拠した長編小説の例もあるではないかという人もいるかもしれませんが、専門の工房があったわけではありませんから、閑暇と教養が十分に伴わなければ個人による筆写の作業はとても不可能だったでしょう。というわけで文学としての源氏物語は、物語の内容ばかりでなく、その複製方法からしても、当時の階級的特権をベースにした宮廷文化の所産と申さねばなりませんね。)

    話が逸れかけました。グローバル機能を持たないガラ携を、長いあいだわが旅の記録のための必須の筆記用具としてまいりましたが、携帯電話としての機能が半ばマヒとあってはいたしかたありません。
    新しい人に宛ててメールを作成するためには、まず受信ボックスから任意に着信を選び、それを開いて通信欄に新しいアドレスをコピペし、それをいったん自分のパソコンに送信し、そこからそのアドレスに宛てて通信文とともに発信するという厄介な手続きが必要です。
    面倒くさいのでいっそ手書きのほうが楽なくらいです。手紙を書くのはきらいではありませんが、申しましたようにこのところ手首に不自由を感じ始めましたから、長くなりそうな文面ですと、それもとかく億劫になりがちです。

    というまことに是非もない次第で、わが愛するガラパゴスくんとの別れも近いのですが、ちっぽけな鏡の上を画像が目まぐるしく走り回っているだけのようなスマートなスマホくんにくらべれば、鈍なガラパゴスのキーを操作することのほうに、機械を使う人間の醍醐味に近いものがまだ伴っていたような気がします。

    不便さを讃えようとして、ノスタルジックなガラパゴス挽歌になりました。
    例のごとく、また長広舌となりましたがどうかご海容を。
    立野拝

  3. 阿部修義 のコメント:

     表題の「不便さを楽しむ」を別の言葉に置き換えると立野さんが言われる「深い内省の時間を持つ」ということではないでしょうか。それには人間とは何なのかを深く考えることが必要です。アレキシス・カレルも『人間この未知なるもの』の中で、文明の発達は人間を知らずに欲望のまま一人歩きしたことによる弊害の方が遥かに大きく人類にとって危険なものとなったと一世紀も前に警鐘を鳴らしています。人間の生活は欲望と内省の均衡を守って初めて継続し循環していけるものなのかも知れません。

  4. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    立野さん、澤井さん、阿部さん、お早うございます。隣の部屋で美子が入浴サービスを受けている合間に一言だけ。
     立野さんのガラパゴス挽歌、とても興味深く読ませていただきました。白状すると、私はいまだにガラ携とスマホの違いさえ分かりません。持っているのはいわゆるケイタイでこれがガラ携なのでしょうが、私は目覚まし機能と外出時に何か事故が起きた時に家人に電話連絡して美子の世話を頼むため(幸いそんな機会はこれまでありませんでしたが)だけに使って、あとはもっぱらパソコンのお世話になってます。固定電話が目の前にありますが、これも最近不動産屋からの慇懃無礼な電話に閉口して留守電機能にしております。
     要するに立野さんのように身軽に移動できず四六時中机にへばりついている身ですので、パソコンが唯一外界(?)との連絡手段というわけです。それにしても超便利な世界になったはいいが、魂と魂、気持ちと気持ちの交流がどんどん無くなっていく現実に怒りさえ覚えています。平安人が留守宅を訪ねた折に、歌を書いた栞を垣根(?)に挟んで帰った時代の方が、なんと濃密な魂の交流がなされていたんだろう、と思います。入浴が終わりそうなので、ではまた。

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