昨日から例の「焼き場に立つ少年」の写真にスペイン語のキャプションを付けて、スペイン語圏の友人たちに送っているが、今朝もメキシコとスペインから大きな反響が戻って来た。それにしてもここのブログの友人たちは何と反応の遅いこと。何も感じなかったとは思いたくないが、そして深く感じたまましばらく言葉に出せないのかも知れないが、正直アホらしくなってきた。といっても、もともと自分が生きるための探照灯として書いている*のだから、文句は言えないか。埴谷雄高流に、この世の外ならいずこなりと、とも言えないし、まっ人の世なんてこんなものかな。
ちなみに下手なスペイン語キャプションは以下の通り。
Un niño que espera su turno en el crematorio para su hermano muerto en su espalda. Es la foto que tomó un fotógrafo americano Joseph Roger O’Donnell después del bombardeo atómico en Nagasaki. La tristeza del niño sólo se expresa en sus labios mordidos y rezumados de sangre.
※ あの少年が誰であったか、結局は不明のようですが、或る人が背中の赤子は妹では、と言ってきました。なるほど当時男の子はみな坊主頭でしたから、妹でしょう。早速スペイン語の男性名詞 hermano を hermana に変えました。
私としては、悲しみがさらに大きくなりました。
※※ NHKの番組を見ると、やはり弟らしいので、再度訂正します。
★★ 13日の追記 昨夜たまたまひねったテレビで、カナダ在住のヒバクシャ・サーロー節子さんのことを初めて知りました。ネットで検索すればすぐ出てきますので、まだの方はぜひご覧ください。今回の核兵器禁止条約への日本不参加の愚かしさに改めて怒りを覚えます。
* 父の死後、柳美里さんが父への追悼のお便り(メール)をくださったが、その中で柳さんは父を「佐々木孝さんは、言葉の人でした。言葉を自分の前に灯火のように掲げられて歩まれた方でした」と評してくださった。(2020年12月25日息子記)
ユーチューブにNHKスペシャルで「焼き場に立つ少年」がありましたので視聴しました。この写真の感想を言葉にするとすべてが空しく、唯々、生存されていれば先生と同じお年なんだとご健康で生きて居られることを祈るしかありません。オダネルさんが、この写真を晩年公表されたことはアメリカ人にとっては不快なものだったんでしょう。現に奥様とは、それがきっかけで離婚されています。しかし、原爆直後での悲惨極まりない光景、そこに生き残った日本人の姿を終生忘れようとしても消し去ることができなかった、まさに悪夢に悩まされた生涯だったと本人も述懐されていました。人は欺けても自分自身は決して欺けない。人間としての良心がそこにあったんだと私は感じます。番組の最後でオダネルさんがこう言われていました。
たとえ小さな石であっても
波紋は広がっていく
それは少しずつ広がり
いつか陸に届くはずだ
アメリカという陸にも
届く日がくる
誰かが続いてくれれば
波紋はさらに広がっていく
そしていつか 誰もが平和を
実感できる日が来ると信じる
ありがとう!阿部さん!
ユーチューブにNHKスペシャル「解かされた封印 米軍カメラマンが見たNAGASAKI」があったこと全く知りませんでした。さっそく見ましたが、頻繁に音声が途切れるのは私のパソコンのせいだと思ってましたがそうではないらしいですね。放送されたのが2015年10月6日ということですが、これも全然知りませんでした。ともかくいつものように阿部さんの追求力はすごいです。
音声が不調なので、途中までしか見てませんが、あとからゆっくり見るつもりです。オダネルさんは背中の赤子を弟と判断したようなので、彼の意見を尊重しましょう。番組の表題が「解かされた…」となっているのがどうしてか不思議ですが、全部見終わったら分かるのでしょう。皆さんもぜひご覧ください。