再度、馬主さんに

※右の談話室に書いたものですが、本体の間が空き過ぎたのでこちらに移します。

野嶋さん、お返事ありがとうございます。実は最初のメールを、もしかしてこれはフェイクかもしれない、と少し疑がってました。しかし文章全体からは書き手の誠実なお人柄が歴然としてましたので、これはモノディアロゴス君の馬主さんだと判断しました。それが今回のメールでさらに確実なものとなりました。疑いの切っ掛けとなったのは、野嶋さんが「談話室」投稿の際にメールアドレスを書かれなかったからですが、しかし昨今のフェイク横行の時代ですから当然の警戒と思います。
 さて今回のメールでモノディアロゴスという言葉に出会われた経緯が少し分かりましたが、でも文字通りの直訳「一人対話」から「魂の叫び」を連想されることは先ずあり得ないので、野嶋さんが目にされたそのスペイン人の文章は間違いなくウナムーノに関連したものではないかと思われます。前回も申し上げたように、この言葉は辞書にはなく、グーグルやヤフーの検索エンジンで調べてみても、ウナムーノか私のブログ、おっと現在はモノディアロゴス君に関連したものばかリですから。
 いずれにせよ野嶋さんの持ち馬と私がウナムーノを介して運命的と言ってもいいような出会いをしたことは間違いありません。
 実は今、今年の九月から東京とサラマンカという二つの都市でウナムーノにまつわる各種行事がスペイン大使館、サラマンカ大学、そして拙著『情熱の哲学 ウナムーノと「生」の闘い』の監修者である執行草舟さんの「戸嶋靖昌記念館」の三者の間で進められており、その下準備のため記念館の安倍三崎さんがサラマンカに飛んでいます。その彼女から昨日、ウナムーノ記念館でフランスの著名なウナムーノ研究者のレバテご夫妻に偶然出会い、ご夫妻に拙著を差し上げたそうで、その時もらったアドレスに、私からもご挨拶のメールを送ったのですが、そこにも今回の野嶋さんとの出会い、そして「焼き場に立つ少年」が教皇に渡った経緯を説明しました。
 つまり前回のメールにも書きましたように、今回の珍しい出来事がすべてウナムーノがらみで展開したように思えてならないからです。今年の正月に新聞報道がなされたからご存知と思いますが、長崎原爆投下直後のあの少年の姿は、モノディアロゴス君の登場そのものを連想させるように思えるからです。右の「談話室」で阿部修義さんがこう書いていました。

「そういう発想をされた馬主さんが、どんな方なのか想像しています。きっと、劣勢からゴール間際でライバル馬を差すような強い馬になると思います。」

 どうか野嶋さんも、以後モノディアロゴス君とあの少年の凛とした姿とを重ね合わせて下されば嬉しいです。私は競馬に関しては全く何も知りませんが、今回初めてネットでG1が競走馬最高の晴れ舞台であることを知りました。それだけモノディアロゴス君に期待しておられるのでしょう。
 私(たち)も以後モノディアロゴス君の活躍を心待ちにしています。どうかこれからもお時間のあるときで結構ですから、モノディアロゴス君のこと教えてください。
 今回のメールでご子息が大学でスペイン語を学んでおられることを知り、びっくりしました。実はドバイで成績を出せなかった馬の名がディオスコリダーと聞いて、もしかそれはスペイン語の Dios Corrida つまり神の走りではないかと思いましたが、当たってましたね。お二人ともスペインに関心をお持ちとは、また何たる偶然でしょう。私は生涯の大半を大学でスペイン語教師でしたから、ご子息のお勉強になにかお役に立つことがあれば喜んでお手伝いします。手始めに『情熱の哲学』でも差し上げたいのですが、このブログの上方にある「富士貞房と猫たちの部屋」にメールの欄がありますので、そこからご連絡ください。部外者には分からない個人的なメールアドレス交換になりますからご安心ください。最初からお返しをねだるのは、はしたないですが、モノディアロゴス君の写真どんなものでも結構ですからいただけませんか。

 以上、すこし長いお返事になりましたがよろしくお願いいたします。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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再度、馬主さんに への2件のフィードバック

  1. 阿部修義 のコメント:

     私たち人間は、一生の比較的長い時間に自分との対話が一番多くの時間を費やすのでしょう。それは、過去の出来事の回想であったり、将来への希望や不安など様々なことを自分に向かって正直に問う、そして答えらしきものを自分に言い聞かせる。それは、一度きりで終わらないものであり、人に聞けないものだったりする。人間は、自分の思い通りに事が進むことを常に願っているんでしょうが、思い通りにならない時に自分との対話が始まるんだと思います。ある程度人生経験を積むと、思い通りにならなかったから良かったんだと思うこともしばしばあることに気づく。そういうふうに考えてみると、モノディアロゴスという言葉の意味は、先生が言われる通り「一人対話」なんでしょうが、その対話を突き詰めていけば、「魂の叫び」とウナムーノが言ったように解釈できるのかも知れません。いずれにせよ、モノディアロゴスはウナムーノが作った言葉であり、この言葉はウナムーノと深い関係にあることは先生のご説明で十分私にもわかります。馬主の野嶋さんが、ドバイでの心の底から悔しいと思われたことが「魂の叫び」という馬名を思い起こさせ、それをスペイン語で何と言うかを調べられた中で、ウナムーノの言葉に出合われたということなんでしょう。「魂の叫び」とは、人間の真剣な境地からでしか生まれないものであり、それはまた、人生の厳しい条件のもとで鍛えられて発せられる命の言葉なんだと私は思います。モノディアロゴスと名付けられた野嶋さんの心を投影するような強いだけでなく、多くの観客に勇気と希望をも与えてくれる名馬になることを『モノディアロゴス』を愛読している一読者として祈っております。

  2. 野嶋 のコメント:

    佐々木様ごぶさた致しております。野嶋です。
    モノディアロゴス号が今週日曜日 函館競馬場の5R新馬戦にてデビュー致します。おかげさまで元気いっぱいに育ち 今節のデビューとなりました。
    結果は神のみが知る事でしょうが、きっと彼は精一杯の力を出しきり、多くの方に感動を与えてくれる事と思います。
    佐々木様との偶然の出会いに感謝致すと共に、今後の益々のご活躍をお祈り致してあります。

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