呑空庵西漸(せいぜん)す

今回も思いがけないで出会いと展開があって、とうとう呑空庵支部が東京を越えて西に、しかも一気に九州は鹿児島市に誕生することになった。そもそもの始まりはモノディアロゴスの最新刊『遡行と螺旋』を注文なさった一人の読者との出会いだったのだが、彼のメールにこんな一文があったのを見逃さず飛びついたわけだ。

カトリック新聞でウナムーノの記事を読み、佐々木様のことを知り、『原発禍を生きる』を現在読んでいるところです。そのうち勝手に「呑空庵鹿児島支部」を名乗るかもしれません。

 鹿児島市は我が敬愛する作家でありばっぱさんの従弟でもある島尾敏雄の終焉の地であるばかりでなく、私の最後の勤め先・東京純心の系列校・鹿児島純心の本拠地・川内つまり性懲り無く再稼働を果たした原発所在地にも近い。
 これはぜひとも呑空庵支部を作っていただきたいとの強引かつ執拗な私の願いに、今日、彼すなわち山下和実さん(高校非常勤講師、67歳)から色よい返事をもらったたばかりなのだ。しかもそこには原発に対する彼のスタンス、そして地元の友人たちとの活発な関係が書かれてあり、これ以上ない最高の支部長(ごめんなさい、他の支部長さんたちももちろん最高です)誕生である。

月2回定例の集まりをしているので、今度『原発禍を生きる』を紹介するつもりです。 一つは川内原発と改憲に異議を申し立てるグループでカトリック教会のメンバー10名足らず の集いです。もう一つは、高校時代の恩師と高校時代の教材を再読する読書会です。(中略)参加者に「モノディアロゴス」を紹介することで、「呑空庵支部」を名乗ってよければ 12月から開始いたします。

 これでウソ偽りなく「呑空庵は北は北海道から南は九州まで(いつかは沖縄まで)全国展開中です」と言うことができる。これをお読みの方で、それなら私の処にもと名乗りを上げて下さるなら、私・富士貞房この老骨に鞭打って日々更に豆本と私家本製作に邁進しますのでどうぞよろしく。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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呑空庵西漸(せいぜん)す への2件のフィードバック

  1. 阿部修義 のコメント:

     鹿児島で思い出したのは、埴谷雄高氏の母方が薩摩藩の出であると「アンドロメダ忌(2003年2月18日)」に書かれてありました。新たに先生とご縁の深い地に呑空庵支部が誕生されて良かったと思います。これも先生の日ごろの平和への熱い願いのご成果です。フランシスコ法王も来年には日本を訪問されたい意向を表明されていて、日本も具体的なそのための準備を進めているようです。

  2. 佐々木あずさ のコメント:

    呑空庵主 孝先生
    しばらくぶりにモノディアロゴスを拝読。自分の幼さ、愚かさに活を入れながら。
    さてさて、なんて素敵なことなのでしょう。呑空庵支部が広がっている。これはまっことあの白い粉ケサランパサランコモパサランのなせる業。

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