勘違いの連鎖

三笠宮が御歳百歳で亡くなられた。私は天皇制論者でも反天皇制論者でもないし、恥ずかしながら天皇制についてまともに考えたこともない。しかしもし国というものを一つの組織体と考えるなら、頭に相当するものが必要だろうくらいのことは考えている。もちろんそれは国家元首としてすべての権力を束ねるものであるべき、などとは夢にも思っていないが。だから憲法が定めている象徴天皇という制度は誰が最初に考えたかどうかなどとは関係なく、実に理にかなった賢い制度だと思っている。
 時あたかも、隣国韓国では大統領のスキャンダル、片やアメリカ合衆国では大統領選挙をめぐっての、目を覆いたくなるような醜悪な茶番劇を考えてみるとき、象徴天皇制の美点が際立って見えてくるはずだ。
 戦後70年の政治、とりわけ現在の政府の醜態を考えるとき、それにはまったく影響されないところで国の品位を辛うじて保つことに貢献しているのが象徴天皇制という仕組みであろう。それは、東日本大震災の被災地訪問の際の天皇・皇后両陛下が実に人間的でまともな形で国民に寄り添って(という言葉自体は嫌いだが、しかしこの場合一番適切な表現かも)おられる姿を思い起こすだけで充分である。
 ところでその三笠宮だが、オリエント学者としてだけではなく、いろんな形でいろんな所で国民と親しく接しておられたことは有名である。この私も、今から半世紀以上も前のことだが、お側近くに寄らせていただいたことがある。と言っても個人的にではなく、当時住んでいた学生寮の夕食会に三笠宮がいらしただけのことだが。
 今日は柄にもなく天皇制を真面目に話題にしたので、ここはいつものように滑稽話で終わりたい。実はそれについては「的外れの賛辞でも、の話」という題で2010年5月21日のブログで書いたので、興味のある方は(そんな方はいないであろうが)そちらを見ていただくとして、今日はただそのさわりのところだけご紹介する。

「しかし人は時にとんでもない賛辞を、たとえそれがどんなに的外れのものであろうと、心ひそかに支えにして生きる場合がある。この際だから白状すると、人が聞いたら噴飯ものだが(事実これに関しては、妻にさえ、それウッソでしょー、まさかあなた自身そんなこと本気にしてないでしょうー、と仰天された苦い記憶がある。)だから今までだれにも言わなかったことだが、もうこの際、洗いざらい恥をさらけ出そう。
 それは上智大生の四年目、学生寮にいたときのことである。どういう名目だったか、寮の食堂に三笠宮をお迎えしての夕食会があった。寮生たちが順不同でがやがや席につこうとしたとき、面識も何も無い下級生の一人が私の顔を見るなり、あっジュラール・フィリップに似てる!と叫んだのだ。ほらね、冗談だとすぐ分かる賛辞でしょ。でもその言葉は私の心の奥深くに半世紀も刺さったままなのだ。罪作りなあの下級生。」

 なぜその時ジュラール・フィリップの名前が出たんだろう、と今回しらべてみたら、この夕食会があったのは1961年だが、その2年前に彼が36歳の若さで死んだこともあって、彼の映画が再度上映されたりで話題になっていたからではなかろうか。ともかく小さいときから自分の容貌についてコンプレックスしかなかったのに、この下級生の一言で救われたことも事実である。もちろんそう言った下級生も、言われた私も、どちらも勘違いであったことに違いはないが。
 結局、今回もそんなつまらぬ勘違いの思い出を語るためのいわばダシに尊敬すべき皇族のお名前を拝借した形になって、いやー失礼つかまつりました、お許しくだされ。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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勘違いの連鎖 への3件のフィードバック

  1. 阿部修義 のコメント:

     文章を拝読して、2008年4月8日「褒める力」を読み返していました。この下級生の言葉は、おそらく、本人はその時にそう思ったと私は思います。「家族アルバム」の中の「原町での夏休み(先生が上智大学二年生)」を見ていて、率直な私の感想は目に力があり、爽やかな印象を持ちました。写真には表れない目の輝きや顔の表情などの動的なものを間近に見て、ジュラール・フィリップにその下級生は先生のお顔にその面影を感じたんでしょう。

     人は根拠のない褒め言葉には不快を感じますが、相手の美点を率直に伝えてあげることは人と人との関係性の中では非常に大切だと思います。人の欠点を論う人がいますが、そういう人の多くは自分の欠点には盲目的です。稲賀先生の文章を久しぶりに拝読して、改めて、その勘は鋭いと先生の文章を五年近く読み続けている一読者として納得です。

  2. 中本友子 のコメント:

    佐々木先生

    お元気でいらっしゃいますか?
    中本友子です。(葛尾村在住でした)
    だいぶ前にメールを差し上げてから、大変ご無沙汰してしまい申し訳ありませんでした。

    千葉県の外房・御宿に越してから、はや3年がたちました。
    葛尾には1年に1回くらいのペースで一時帰宅などをしております。一時帰宅などと言ってもほとんど補償のための写真撮りに時間を使っています。庭はススキに覆われて、自宅はネズミに入られ放題です。ですが、わたしの仕事場は地震のせいでごちゃごちゃですが、それさえかたずければ以前と変わりなさそうで、、。それがかえって悲しくなります。
    震災前に、先生よりお借りしたDVD(24)を先日かばんのなかから発見して、持ち帰ってきました。ずっとそのままで本当に申し訳ありませんでした。
    持ち出しの際には、一応検査もありましたので、一応大丈夫とは思いますが、、。
    なにぶんまだ4マイクロシーベルトもあるところでしたので、先生にお返しするのもどうしようかと迷ってしまいます。また先生のコレクションの24番が空いているのを想像すると心苦しくもなります。
    このような状態でもお送りした方が良いのか、お送りしない方が良いのか、不躾ではございますが先生にお伺いする次第です。
    私がお借りしなければこのようなことにならなかったと思いますと、本当に申し訳ありません。
    どうか先生の良い方をお知らせください。

    急に寒くなってきましたので、どうかお体お気を付け下さい。

    中本友子

  3. fuji-teivo のコメント:

    中本友子様
     お久しぶりです。お元気のようで何よりです。葛尾村のニュースが流れるときは、いつも中本さんたちのことを思い出してます。
     震災後の私たちのことは、上にある「メディア情報履歴」をご覧になれば、大体のことはわかりますので、お時間のある時にでもご覧ください。
     スペイン語教室の仲間たち、阿部さんや丹さんはお元気です。大谷さんは辻さんたちと組んで、フォルクローレを続けており、先日、川俣のコスキン祭に出場しました。 「コスキン・エン・ハポン2016チャスカ(ふくしま)」で検索すれば、youチューブで見ることができます。
     この先は別のアドレスで続けましょう。

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