先日、わが不肖の書『モノディアロゴス』(行路社版)がアマゾンで1円で売り出されていることに触れた。そして試しに一冊注文したことをご報告したと思う。まだ1円のものが6冊ほど残っていたが、それは見っけた人の得と、そのままにしておく、と書いた。しかし流通機構の魔術にかかったとはいえ、自著が1円に値踏みされたことはなんとしても悔しい。実はそのあと、他人の書のいくつかも1円本の蟻地獄から救い出した(なーんちゃって、得をしたわいとほくそ笑みながらではあるが)のである。そしてとうとう我慢がならなくなって1円のもの6冊全部、そして、えーっいついでだ、とばかり99円のものも追加注文した。
それらがこのところ毎日届いている。それらを見ながら不思議に思うのは、それらがいわゆる「古本」にはどうしても見えないことである。つまり一度人の手に渡って、それから古書店に売られたものとは見えない、ということ。帯まで含めて「まっさら」なのだ。版元の行路社が倒産などして、それで新本のまま古書店に流れた、というのならまだ分かるが、行路社は倒産などしていないのである。
地獄からの救出作戦のあと、現在アマゾンの密林に残されたのは最低価格200円から最高1,200円までの8冊であるが、ひそかに手を回すことはもうするつもりはない。屈辱的な1円地獄から子供たちを救出したことで、いまは満足である。まさかこのあとも、またもや1円に値踏みされることはあるまい。そうであることを心から願う。
「高尚」な話題をお約束しながら、今回も実に低次元の話題に終始した。ペソアについて書かなければならないことがあるのだが、それはこの次ということにしよう。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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