敗残の兵と西瓜

死んだばっぱさんの月命日(2012年1月2日、享年99歳)など実の子供たちでも全く思い出さないであろうが、かたじけないことにさんが時おり思い出させてくれる。今日もさんのブログの冒頭に書いておられる。右の「セミナーハウス」を直接訪ねてもらえばいいのだが、私自身が16年前に書いた思い出の記の枕としてその部分だけ氏の許しも得ずコピーさせていただく(息子注。現在リンクは削除)。拙文はその後に続ける。少し長いけれど、お時間のある時にでも読んでいただければ幸いである。

「今日は2日、月こそ違え、千代バッパ様の「月命日」です。あの日の朝8時ホテルの玄関口で、車いすに乗ってお見送り下さった千代バッパ様の笑顔が、不思議で異常な愚老の自脳に、お声と共に残されています。「何処からお出でか?。」、「東京です。」、「今度は私が逢いに行きます。」、と言って下さり、時々逢いに来て下さっています。何時もお優しい笑顔で、「又来るよ。」、とお帰りになられますが、今頃はあの世で愚老の母と仲良く、思い出話に花が咲いていることでしょうか?ネ。愚老の忘れられない一首に、≪三人の子みつめる中に西瓜一つ 購いてあわれ兵士に捧ぐ≫ 千代女。満州は、朝陽駅に降り立たれた三人の子の手を引く千代バッパ様が、駅頭に立って放心状態の兵士三人に、「無条件降伏の敗戦」を知らされていました。その時の情景を詠まれた一首だそうですが、三人の兵士はどんな思いで「西瓜にカブリついた」のでしょうか?ネ。それを見詰めていた三人のお子の心情は?…。」

 以下は16年前の拙文とそれに触れた6年前のブログ(すみません全体では三層構造になってます)


 (全文省略)いやそんなことより、今日ばっぱさんのことを考えていて、一つのエピソードを改めてご紹介したいと思ったのである。改めて、と言ったわけは、過去に一度それについて書いたことがあったから。ネットにはない2002年のブログ(行路社版『モノディアロゴス』には収録されている)だから、まずそれをここにコピーしてみる。



タントゥム・エルゴ(かくも偉大なる<秘蹟を>)

 映画やドラマでは、重要な場面、劇的な場面には必ずその場を盛り上げる、あるいは緊張感を高めるための効果音や音楽が挿入される。もちろん現実世界では、たとえそれがどれほど重要かつ決定的な場面であれ、それに見合った音楽が鳴り響くわけではない。時にそれはあまりにも非・劇的な、いかにも日常的な音、たとえば赤ちゃんのむずかる声、あるいは街角で吹き鳴らされる豆腐屋のラッパの音(ちと例が古すぎるか)だったりする。
 しかし思い出の中の情景には、想起されるたびにある特定の音楽が連想されるということがある。というより、ある特定の音楽が過去のある特定の情景を喚起する、といったほうが正確かも知れない。たとえば私の場合、「タントゥム・エルゴ」というグレゴリアン聖歌を聞くたびに、少年時のある光景が立ち上がってくる。「タントゥム・エルゴ」にもいくつかバリエーションがあるが、あのいちばん重厚なやつ、地を這うような重低音が響くやつである。たいていこの曲はミサの後の聖体降福式(今は聖体賛美式と言うらしい)の時にもうもうと立ち昇る香煙の中で歌われるが、その旋律を聞くたびに、終戦時の満州のどこか寂しい町はずれの鉄路を、そして血塗られたような夕焼けの中でへたりこむ日本兵の一団を思い出すのだ。いや、もう少し正確に言うと、その曲が鳴り響くあいだ、ともかくも敗走する日本兵の一団は行軍しているのだが、曲が終わるや否や、彼らは線路のここかしこに座り込んでしまう。そして実際に見た光景は、鉄路の上にへたり込んだ彼らの群像なのだ。
 このとき、かの地で夫に先立たれ(病死)、幼い三人の子供を連れて引揚げの途中にあった我らの(?)バッパさんには、腹を空かせたわが子らの姿が一瞬視界から消えたのか、何個かの西瓜を買い求めて、これら敗残の兵たちに恵んだのである。さてこの彼女の行為を何と評価しよう。教科書にも載せたいくらいの美談、個人的な幸・不幸など国家の大義の前には一顧の価値すらない、とする烈女の物語とするか、あるいは腹を空かせた幼い子どもたちを栄養失調の危険にさらした母親失格の悪女とするか。
 いやー、白状すれば、書こうとしていたのは宗教体験における典礼・儀式の意味、その効果性だった。しかし退院後しばらくは神妙だったバッパさんがまたまた勢いを盛り返してきたので、ついいじめたくなったのである。もうやーめた。(九月二日)


 これを書いた当時は、いわばばっぱさんの烈女ぶりを揶揄するだけであったのだが、今次の(?)大震災を経て、少し考えが変わったのである。つまり子供たちの空腹は、これら敗残の兵たちの空腹に比べれば屁のようなもの、ばっぱさん決して間違っていなかった、あなたは偉かった! と心から思えるようになったということである。つまり兵士たちの空腹は、敗戦によっていわば己れの存在の根拠そのものを奪われた者たちの絶望であり飢餓感であった。このときばっぱさんは自分の子供たちの空腹よりもこれら兵士たちの空腹を癒すことが先だと感じたのだ。要するに私的なるものを越えた公的(パブリック)なるものを優先させた。
 もちろんこのとき、ばっぱさんが自分の子供たちを優先させたとしても決して咎めることなど誰にも出来ないであろう。母が自分の子供たちを守るのは当然だからである。たがしかし、時には私的なるものを超えた公的なるもの、それは何も国家とかお上と限定してしまうと誤解が生じるが、ともかく家族から始まって地域へと広がる人間たちの共同体と考えた方が分かりやすいが、ともかく私的なるものを越えるパブリックなるものへの思いやり(忠誠心などと言ったらそれこそ語弊がある)と言い換えてもいい。そしてそうしたものへと広がる思いが、最近の母親たちに決定的に欠けているような気がしてならないのである。
 核家族などという言葉さえ最近は聞こえなくなったほど、まさに核家族化は意識面でも実際面でも行き着くところまで行き着いたという感じがする。地域共同体なるものもいわゆるイベントもの、お祭りでしか機能しなくなってから久しい。
 こういうことを言うと、最近とみに勢いを増しているかに思える復古主義者(大阪の維新なんとかみたいな)と間違われそうだが、違うんだなー、決定的に違うんだなー。
 でも夕飯の後、寒い二階のパソコンでこれ以上書き続けるのは無理。この問題はまたそのうちもっと整理した形で蒸し返すつもりだから、今日はこの辺で。(2012/1/9)

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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敗残の兵と西瓜 への2件のフィードバック

  1. 阿部修義 のコメント:

     この西瓜のお話は私もよく知っていますが、Sさんの文章から昭和20年の8月末ごろのできごとなんでしょう。ここで忘れてはならないのは、先生のお父様の稔さんが中国で昭和18年の12月に病死されたことです。ばっぱさんは、幼い三人の子供を一人で連れて敗戦した日本へ帰られるわけですが、この時の心情は肉体的にも精神的にも苦難の極みに達していたはずです。まさにばっぱさんの行動は「愛」から発せられた行動としか考えられません。そして、ヒルティがこんなことを言っていたのを思い出しました。

     「もし人類に、苦難において与えられる教化の最大の補助手段がないならば、人類はキリスト教をもってしても救いに達するわけにゆかないだろう。(中略)充分な力と慰めの裏づけある苦難は、人生がわれらの教育のためになす最善のものであり、また特に力の最善の補助手段である。事実われらが有するおおかたの力と本当の識見とは、われらが苦難の時期に集めた経験から由来している。その生涯において苦難を味わったことの余りに少ない人は、済度し難いほどに凡庸であり、人間的教化のどんな手段をもってしても進展させることはできない。それゆえあなたがたも、苦難なくしては決して真の愛に達しないであろう。苦難の欠如は人間をかたくなにし冷たくする、不親切に近づきがたいものにする。最良の天分を賦与されている人々すらもこのような欠陥に全く打ち克ち得ない。然るに自ら苦しみを味わっている人、また生涯においてすでに多くの苦難にあずかった人は、いま現に苦難の中にある人々の情感や要求に対してかなり強い感じをもつことができる。現世において愛は苦難によって産み出される。『ヒルティ著作集8悩みと光 力の秘密より』」

  2. 守口 のコメント:

    ばっぱ母上の73年前の、刹那の<絶対行動>に胸打たれました。そしてそれは、息子さんの佐々木兄いへの<絶対教示>になっていたのだと、いま確信しました。
    阿部さんが教えてくださったヒルティの言葉とともに、われわれ凡庸な民にあっても、生きて行く上での最も深遠な指針と深い慰めを、受け留めました。
    有難うございます。
    Sさん、すばらしい文章、嬉しく読ませていただきました。
    ウナムーノ展、ご一緒すればよかったですね。

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