二階縁側から国見山あたりの夕映えを眺めていると、今は真冬だから烏などいないのだが、確か二羽三羽と飛んでいくさまを描いた文章が『枕草子』にあったことを思い出した。日本古典を読むことなど絶えてなく、書棚にあったかどうかさえあやふやである。階下に降りて探してみると、推理小説やら翻訳小説が未整理のまま並んでいる書棚の中に『徒然草』と一緒にあるのを見つけることができた。「春はあけぼの…」で始まる冒頭の文章である。
秋は夕暮。夕日のさして山のはいとちかうなりたるに、からすのねどころへ行くとて、みつよつ、ふたつみつなどとびいそぐさへあはれなり。
確か「みつよつ、ふたつみつ」が実に動的かつ視覚的な描写だと授業で教わった気がする。なるほど。
こういう感性(と、とりあえず言うしかないが)は清少納言あるいはもっと前から、日本人(と、とりあえず言うしかないが)の中でどのように変化してきたのだろうか。それとも変化などせず、表現媒体である日本語にからまってほぼ不動のまま現在に至ったのであろうか。素人考えではあるが、どうも後者のような気がする。そして進化あるいは深化するどころか、次第に退化・鈍化してきたのではなかろうか。だからわれわれは、土砂あるいは塵芥の堆積の中に埋もれた古層を掘り出すぐあいに、そうした先人たちの感性を時には意識的に掘り起こさなければならないのではなかろうか。
たとえば芭蕉などの俳句を読んでいると、先端的な現代俳句も及ばないほどの前衛的な描写に出会うことがある。けれど先ほどの流れで言うと、それらが前衛的なのではなく、対象素材に違いはあれ、もともとわれわれならびに日本語の中にあった感性であり表現方法であると言ったほうが正しいはずだ。
実は『枕草子』などと一緒に『新訂一茶俳句集』も持ってきてぱらぱらとページをめくっていたのだが、たちまち次のような句にぶつかる。
畠打(はたうち)の顔から暮るゝつくば山
一村(ひとむら)はことりともせぬ日永哉
これらの句にある季語は何か。日永は春だろうが、畠打は? 季語を調べる本がないので分からないが、そういう約束事はともかく、これら二つの句が実に見事な表現であることは理解できる。ところでこれまで全巻読みきった古典は『平家物語』しかない。それも何十年も前のことである。そろそろ古典へ回帰する頃合になったのかも知れない。 (1/7)
いつのまにか春が