絶交

最初は、朋あり遠方より来たる、また楽しからず哉、という心境だった。どこから狂い始めたのだろう。昔から癖のある人であった(それはお互いさまである)。それを承知で付き合ってきた。思い返すとこれまでだって、決定的な仲違いになりそうな局面を危うく回避したことが何回かあったような気がする。その都度それが避けられたのは、互いがまだ若く、柔軟だったからであろう。だから双方の歳を考えに入れなかったことが、取り戻しようのない決裂を招いたのかも知れない。いや、歳のせいだけではなかろう。どうしてか分からないが、すべてが悪い方悪い方へと傾き出し、そして魔の一瞬が訪れた。避けようがなかった。「俺はもう帰る」、彼がそう口にしたとき、破局は一気に訪れた。その時、修復は不可能、と観念した。
 それでも一応は引き止めた。未練たらしく、こちらに非があるなら謝るから、と通りまで追いかけていって引き止めようとした。もちろん「こちらに非があるなら」という限定つきの謝罪で事態が逆回転するはずもなかった。彼も私もそのことはよく分かった。夜道を帰っていく彼の後姿を一瞬見送ったあと、後ろを振り返らずに家に戻った。無性に腹立たしかった。
 その日、再会の瞬間から破局の予兆がいくつもあったのかも知れない。いつもよりやけに愚痴話が多かった。おいおい、そんなこと言ってたら、そのうち刃傷沙汰になって週刊誌ネタになっちゃうぞ、と茶化したほどである。だからあの決定的な瞬間を招来するには、話題はなんでもよかったのかも知れない。しばらく会わないうち、揶揄や冷やかしの言葉が、剥き出しのまま相手に届く感じで、かつてのようにそこに緩衝材のような暗黙の間合いの入る余地など無かった。
 だが、これもまた人間関係の一つ。ともあれ日頃から肝に銘じているのは、断絶によって相手が不幸になるのであれば、どうにかして関係修復に努めるべきだが、そうでないなら、きれいさっぱりそれぞれの道を歩むしかない、ということである。複雑な人間関係の中で当然あっておかしくはない絶交というものが、コミュニケーション手段の変遷・変化のせいか、次第に少なくなっているような気がする。けっしていいことではない。しかし、互いに譲れぬものがあって当然。いい加減な妥協や同情より絶交の方がいい場合がある。
 ともあれ今は相手も同じ考えであることを念じるのみである。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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