隣家との西手の境に植えてある10本近くの木(ひば?)が、隣家の物置に覆い被さり、それでなくても何の役にも立たない木なので、「シルバー人材センター」に伐採ならびに整理方を頼んでいた。本当は今朝八時半から作業に入るはずだったが、あいにく前夜からの小雨。雨が止んだら来るのだろうとのんびり待っていたら、昼過ぎに二人のおじさんが軽トラックでやってきた。そのころは雨が止んではいたが、枝にたっぷり雨水をふくんでいるので、作業は明日にしてもらうことにした。感じのいいおじさんたちで、年齢はいくつくらいだろう。彼らを実際「おじさん」と呼んだのだが、果たしてどのくらい歳の差があるのか分からない。もしかすると自分と同じくらいかも知れない。今まで学生たちを相手にしてきたから、というわけでもないだろうが、どうも自分はある年代から上の人たちの正確な年齢を推測することが不得手である。べつだん自分を若い人の側に置こうとしているわけでもないのに、たいていは自分より年齢が低い人をも、年上に見てしまう傾向がある。
 こういう仕事が多いの、と聞いてみたら、そう、掃除に近い仕事ばっかり、と言う。もしかするとしばらく前までは植木職人として、「まともな」庭仕事をやっていた人かも知れない。そのうちの一人は、玄関脇にかかっていた「横笛の会」の看板を見て、「俺も横笛作るの」と言う。作るだけで吹かないのかどうか。明日来たとき聞いてみよう。ともかく、遊んでないで仕事をしようとしているのは偉いな、と思う。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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