夕方、西内君が『小高区リレー震災回想記』という大判の文集を持ってきてくれた。小高はばっぱさんの生まれたところで、親戚・友人が多い。事故直後から警戒区域に指定されたから、ほとんどの住民は今なお避難生活を続けている。その後どうしているのか、気になりながらこちらから探す気持ちの余裕もないまま今日に至っている。
だからその文集の中に真っ先に探したのは親戚や知人の名前である。又従姉のS. Mさんの名前があった。彼女はこう書いている。
11日は工業高校の体育館で一夜を過ごし、朝家にもどってかたづけをして、夕方体育館に来て、毛布に足を入れて落ち着いたら、原発がバクハツしたから少しでも遠くに避難してくださいと消防団員が来たので、皆総立ちになり、原一小、石小、石神中と言ったので、石神中にそのまま向かいました。そこで毛布を敷いて場所を取って、石神なら馬場に息子が居たっけと思い、ヘタなメールを嫁に送りました。やっと通じて馬場に行き、三泊して又嫁さんの弟のいる郡山に避難しました。長男の車にはガソリンがなく、私達の車でキヌ川 [鬼怒川か?] の方に避難。と、ここで別々になりました。二週間郡山に居て、下の息子の仕事の都合で、又馬場に戻ってきたのです。
そこで三ヶ月過ごし(馬場もけっこうシーベルトが高いので)借り上げ住宅をさがし、今の所に落ち着きました。もう一ヶ月になりました。皆さんお近くに来たらお寄り下さい。
原町区(ここから先ぼかしがはいっている) S. M
不正確な情報が乱れ飛んだ当時の混乱ぶりがはっきり分かる。ところで書かれたのが8月4日だが、今も引き続きそこにいるのだろうか。本人はちゃんと住所を書いて、「お寄り下さい」とまで言っているのに、編集段階でボカシを入れたのであろう。他のところでも「下記の住所に連絡ください」と本人が書いているにもかかわらずボカシが入っている。映倫カットのポルノ映画じゃあるまいし、必要な情報さえ隠す最近の流行に怒りさえ覚える。プライバシー保護というのっぺらぼうの妖怪がいたるところ徘徊している。
それはともかく、又従姉の場合は、これでもいい方かもしれない。中には信じられないような悲惨な目に遭った人たちがいる。表紙には「石をもて追はるるごとく ふるさとを出しかなしみ 消ゆろことなし」という石川啄木の歌が引用されているが、正直それどころの話ではなかろう。生活だけでなく、人生そのものを奪われた者たちの悲しみ、怒りをけっして忘れてはいけない。しかし世はまたもやずるずると危険な道に戻り始めているように思えてならない。
文集は手書きのものをそのまま写真版したものなので、感情の乱れまでが字に表れていて、読むのが苦しくなってくる。しかし貴重な記録である。どんな建材よりも町の復興のための大事な礎石になるだろう。望むべきは、誰かがこれらの証言を題材に、町の不幸と復活への歩みを物語にすることだ。いかなる民族にあっても、その原初からの国起こしの物語は不可欠なのだから。
★30日朝の追記
小高が生んだ江戸川柳の研究家・大曲駒村(くそん)(1882-1943)が関東大震災を『東京灰燼記』(1923年、中公文庫1981年に再録)に記録していることを今こそ思い起こして欲しい。
★★30日夕方の追記
昼前、小高区役所の寺田晃さんにS. Mさんの連絡先を教えてもらって彼女と電話で話すことができた。やはり昨夏から借り上げ住宅で老夫婦二人の生活を続けてきたらしい。家は地震で半壊、商売再開の見通しも立たないそうで、適切な慰めの言葉も見つからないまま再会を約して電話を切った。ばっぱさんの従妹Yちゃんの消息も聞いてみたが、彼女にも分からないそうだ。文字通り町は分断され離散したわけだ。元住人の複雑無念の思いをよそに、最近では地震被害の激しかった駅前通り〈彼女の店もそこにあった〉には、見物客が跡を絶たないそうだ。
読んでいて一つの言葉が思い浮かびました。ディアスポラ(離散の民)。『原発禍を生きる』の中で先生が「巨視的な視点に立てば、東北それ自体が、近代日本発展史の中では常にディアスポラの位置に置かれ続けた」と言われて、日本の繁栄を支えるため電力エネルギー供給の拠点として、絶えざる収奪の対象であったことを指摘されています。今朝の朝日新聞の一面に「原発なしでは首相『生活成り立たぬ』」とあり、関係自治体の理解を踏まえて再稼働を判断していくとしています。原発事故で生活環境の激変、「人生そのものを奪われた者たちの悲しみ、怒り」。しかし、「世はまたもやずるずると危険な道に戻り始めている」事実。負の連鎖を食い止めるものは、先生の言われるように地道に生活している人たちの真実を伝えた「文集」であり、「物語」なのかもしれません。大切なことは、私たち一人ひとりがそれらを読んで感動し、小さな一歩を踏み出す勇気を持つこと。そして、日本人の中にディアスポラをつくらないと誓うこと。『原発禍を生きる」が中国を初め世界に発信されることは非常に意味があることだと思います。人生の真実に国境はありません。