蝶か花か?

先日、レマルクの『西部戦線異状なし』の印象的な場面として、塹壕の中に咲く一輪の花の話をした。ところがその後届いたDVD、1930年制作のアメリカ映画では、塹壕のわずか数十センチ先にとまった一羽の蝶に思わず手を伸ばした主人公パウルが敵側の狙撃兵に撃たれて死ぬという感動的なラストシーンになっていた。つまり花ではなく蝶だった。
 これはさっそく訂正しなければ、と思っていたら、昨日届いた小倉正宏という人の『光と闇 我らが世紀』(三一書房、2000年)の、明らかにこの映画化第一作について語っている説明文では「一輪の花」となっている。ええっ! と思いながら、まだDVDを見直していない。確かに蝶に見えたのだが…
 なにもここは西部戦線の塹壕ではないのだから、迷わず1メートル先、いや後ろのテレビにもう一度DVDを入れて確かめたらいいのだが、これが不思議(!)、なんとなく面倒くさいのである。これも以前書いたように、「綱渡り」のような生活をしているので、綱から十センチでも外れたこと(あるいはもの)でも、なんとなく億劫でやる(取る)気が出てこないのだ(どこからか「もう勝手にしろ!」という罵声が聞こえてくる)。
 言い訳じみて聞こえるだろうが、要するに私が言いたかったことからすればどちらでもいいのでは、と思っている。つまり詭弁と聞こえるかも知れないが、パウルの目には一輪の花がまるで蝶のように見えた、と解釈してもいいわけだ。
 ところで突然『光と闇』という本を引き合いに出したが、これはたまたま側にあった本ではない。レマルクの本をアマゾンで探しているとき、そのリストの中にあった本である。 
 「レマルク文学の作品越しに見た両大戦論の視座から、自由と理性の精神を考察するほか、知的で感動的なヨーロッパ紀行を綴ったエッセイを収録する。」というちょっと変な惹句に誘われて注文した本だ。高額の新刊本だったら手を出さないが、例のマジック定価だったからつい手が出た。
 ところが看板に偽りというわけではないが、前半部の、どこかの若者たちの吹奏楽団を団長として引率してのドイツ旅行記がやたら長くて、後半三分の一あたりからやっと私の読みたかったものが出てくる。要するに(走り読みしたかぎりでは)レマルクやヒトラーの時代がいかに当時の日本と似ていたか、発売後一年半で25ヵ国語に翻訳され、350万部も売れる大ベストセラーになったのに、つまり反戦への共感が世界中あれほど熱烈に示されたのに、世界はあっという間にキナ臭い風雲に巻き込まれ、やがて第二次世界大戦へと雪崩を打ったように突入して行ったのはなぜか、という大きな疑問符で終わっているようだ。
 確かに映画を観ても、原作を走り読み飛ばし読みしても、戦争の愚かしさ、敵も味方も結局は大損、とりわけ庶民や弱者の悲惨極まりない被害は半端じゃない(半端ない、なんてわずか1.5字省略しただけのアホらしい新語を使う馬鹿なタレントは、ただそれだけでお粗末な脳加減が分かって…おいおいっ!つまらぬところで沸騰するな!)。レマルクの小説を読んで感動した何百万もの読者たちはどうした?
 小倉正宏氏によると、戦後ドイツの良心と人道主義を代表するとされる作家ギュンター・グラス氏が日本のある新聞紙上で「もしもレマルクの存在を戦前に知っていたならば、私のその後の生涯は変わっていたものになっていただろう」と語ったそうだ。それでは遅いっつうーの。いやいや他人のことなど言ってられない。この私など今ごろになってやっと読もうかと言ってるわけだから。
 ともかく今からでも遅くはない、とさらに『西部戦線異状なし』の続編とも言うべき『還りゆく道』までをも注文しようとしたら、ケストラーの『真昼の暗黒』と抱き合わせの三笠書房版世界文学全集の一巻が見つかった。あゝそうだケストラー、忘れていた、確か彼に『スペインの遺書』という名著があったはず、それも一緒に注文しよう。
 待てよ、レマルク、ケストラーも大事な作家だが、わが国には五味川純平さんがいたでねーの。彼の『人間の条件』(三一書房版)を持っているがまだ読んでいない。そうだついでに彼の『虚構の大義――関東軍私記』、『ノモンハン』、『ガダルカナル』、えーいもう一つついでに『孤独の賭け』も注文しちまえ。
 ほとんどが例の魔法の一円もしくはそれに近い値で手に入る。もちろん安く手に入るだけでは意味がない。そうっ読まなきゃね。でもこれもあれもすべてネット通販のおかげ。
 さて真面目な話に戻ろう(えっ真面目な話してたの?)。『西部戦線異状なし』の何百万の読者たちは、そうした時代の狂奔の中でどうしたか? あの読後の感動はどこに行った? それを考えると、ただ感激しただけでは時代の流れを変えることはできなかった、と認めざるを得ないだろう。でもあの感動が無意味だったはずはない。それは人々の心に確実に根を下ろしたはずだ。問題はそうした反戦の思いを、どう現実的な力に変えていくかどうか、であろう。
 レマルクたちの願いと失望は遠い前世紀のことではない。今この日本でも、またぞろあの危険な流れの兆候がわずかだが見え隠れしている。油断禁物!
 2チャンネルとかツイッターとかその区別もやり方も分からないし、近づこうとも思っていないが、今度の選挙でそれらの影響が顕著に出るのではとの予想が出ている。私はやらないが、右傾化や強大国化への愚かな動きを少しでも封じる込めることに役立つなら利用しない手はないだろう。
 パフォーマー男や暴走老人や危険なぼんぼんが、選挙の結果、「ありゃりゃ、お呼びじゃない? これまった失礼しました!」と退散するようなことにでもなれば、この日本もまだまだ捨てたもんじゃないのだが…


【息子追記】立野正裕先生(明治大学名誉教授)からいただいたお言葉を転載する(2021年4月19日記)。

『光と闇』という本は知りませんが、映画『西部戦線異状なし』の第一作の最後の場面で、主人公が塹壕から身を乗り出したため狙撃されてしまうのは、たまたま蝶を目の前に見つけたからですね。しかしそれを一輪の花と先生が記憶されたとしても怪しむに足りることではないと思います。あるいは一輪の花が咲いていて、そこに一羽の蝶が飛来して止まったのかもしれません。
わたしの記憶では、一羽の蝶が羽を広げたままゆっくりと上下させていたようです。
原作にはない叙情的な場面です。
主人公が狙撃されて絶命するのは1918年10月、もう秋でした。このひと月後に戦争は終わります。
原作には花も蝶も描かれない代わりに、ななかまどの赤い実が色づいているさまがさりげなく描かれています。激しい砲撃にもかかわらず生き残ったナナカマドの木が戦線のどこかに立っていたわけです。生い茂った葉のあいだに、あの見事な赤い実の房をたわわにつけていた。
七十数年後、フランドルを訪れた際にナナカマドをわたしも目にしました。その木は戦没者墓地の傍らに立っていました。第一次大戦後に植えられたものでしょう。目の覚めるような赤い実をびっしりとつけたさまに強烈な印象を与えられましたが、レマルクの小説の最後をわたしが思い出したのはずっとあとです。
ドイツにいられなくなり、レマルクはながいあいだスイスのアスコナに隠棲していました。マジョーレ湖の湖畔にある有名な町ですが、背後にモンテ・ヴェリタの小山があり、中腹にはユングのエラノス円卓会議が毎年ひらかれた館の跡があります。よく探せばレマルク仮寓の場所も探し当てられたでしょう。
いずれにせよ、こういうことも先生との対話でじっくりと語り合う機会がほしかったところですね。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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