はしゃぎ過ぎでしょ

今朝の朝刊(「朝日」)のトップ記事、その見出しを見て驚いた。「錦織 新時代の主役」と来た。残念ながら準優勝なんだから、トップではなく二番手記事にすべきだし、見出しも「主役」ではなく「準主役」とすべきでは?
 最近、例の慰安婦問題で旗色が悪くなっているようだが、バカな週刊誌の広告を断ったり、何とかという売れっ子時局解説者の投稿記事の掲載を断ったり(後から掲載したが)、どうもやることなすこと浮き足立っているようで気になる。バカな週刊誌の見出しなど見ただけでその週刊誌の品性そのものが劣悪だということぐらい、普通の読者なら判断できる。
 「おごる【朝日】は久しからず」(今週の「週間新潮」のトップ見出し)なんて、まさに事大主義の見本みたいなものだ。だから掲載を断るなんて、最悪の判断。どうも四面楚歌で自信喪失もいいところ、どうすればこの逆境から抜け出せるか分からないでいるらしい。いま世間の注目の的のニシコリ君に飛びついたのはそのためか。
 それはともかく、世間の方でも昨今の見通しが利かないもやもやした状況の中で、何とか元気の出るような明るい話題を求めているのは理解できるが、それにしても期待し過ぎでしょう。いやはしゃぎ過ぎでしょう。だいいち、決勝戦を制したのはニシコリ君よりわずか一歳年上のクロアチアの青年、それも3セット連取の圧倒的勝利。つまり「朝日」の見出しはクロアチアの新聞にそっくり差し上げた方がいい。
 野茂君が活躍した時も、スポーツの力は大きいことを実感したし、私自身も少なからず元気をもらったけれど、「朝日」だけでなく日本の報道界全体のニシコリ君報道は明らかに行き過ぎでしょ。このままだと帰国後の彼を報道機関がさんざ追い回して、彼の練習時間まで奪うかも。確かに彼は希望の星だけれど、過熱報道で過重な負担をかけることはやめましょう。次回大会に向けてしっかり精進することを邪魔しちゃいけない。
 ニシコリ君のことは別にしても、このごろの日本はどうもいよいよおかしくなってきた。表立ったヘイトスピーチは封じ込めても、日本全体が偏狭な国粋主義、時代遅れの一等国願望がじわじわ広がっているように思えてならない何とも息苦しい状況、どこにも出口が見つからないような閉塞感が充満しているという点では昭和初年代に酷似している。あの時代、こうした国民の無意識裡の不満・不安を利用して軍国日本を画策する右翼の台頭があった。私の杞憂ならいいが、かなりの確率で同じ轍を踏み始めてますぞ。おのおの方、油断召さるな! (南相馬の丹下左膳より)

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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はしゃぎ過ぎでしょ への1件のコメント

  1. 阿部修義 のコメント:

     私は今から十九年前に書店で『豊かさの罠』(古川元久著 1995年PHP研究所)に出合って、それ以来陰ながら応援しているのが民主党の古川氏なんですが、彼の政治家になる動機に感動したからです。彼は大蔵省出身で今の日銀総裁の黒田氏の部下だったんですが、官僚では国の仕組みを変えられないということで、大蔵省を辞め阪神大震災のボランティア活動をしながら「ふるげん未来塾」を作って地盤(名古屋)を固めて1996年旧民主党の結党に参加して衆議院議員として初当選して連続六回当選して現在に至っています。安倍首相のような輝かしい家系ではなく、平凡な両親のもとで父親が真面目に仕事に打ち込んでも豊かになりにくい国の仕組みに疑問を持ったのが政治家を志した動機だそうです。

     私は何度もコメント欄で世襲議員ではこの国は危ないと言ってきました。先日の安倍改造内閣を見ても世襲で固めてしまっています。苦労も知らず、能力もないお坊ちゃんお嬢っちゃん内閣では勝ち組の論理で政治をやるだけで、大多数の庶民は厳しい生活を強いられます。原発再稼働、消費税十パーセントもおそらく現実なものになるでしょう。円安も加速しています。古川氏のようなしっかりした政治哲学を持った真の実力ある政治家の存在を知ってもらいたく書かせてもらいました。『豊かさの罠』の中にこんな文章があります。

     私は、本当に真剣に世の中のことを考えている人は、無名の人の中にこそ存在しているはずだと思う。歴史を思い出してほしい。明治維新は江戸の役者によって成し遂げられただろうか。どちらかというと、名もない人間が世の中を変える原動力となってきたのである。したがって、現時点で無名の人の中にこそ、時代の国を担う志士がいるはずだ。政党はこうした志士を見つけて、候補者として打ち立て、最大限のサポートをしていかなければならない。今のように安易にタレントを擁立して票を集めようという道をとったのでは、永久にこうした志士は現れない。その時、政党は自然消滅し、国は混乱に陥るのである。

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