薄暮のサクロモンテ

またまた古い話で恐縮だが、先日引っ越し荷物の中から(まだ段ボールの山が残っている)1972年春のスペイン旅行の記録が出てきた。その頃、スペイン語の教師にはなったが、留学の経験がないだけでなく、一度もスペインに行ったことがなかった。ところがある雑誌社から大学生のスペイン旅行を引率してくれないか、との依頼があったのである。貧乏教師にとってはありがたい話で、二つ返事で引き受けた。しかし当時双子はまだ二歳半。仕方なく福島の家内の実家に母子三人を預けることにした。夫を駅まで送るときのものか、二人の子供を両手に一人ずつ連れた妻が心細そうに立っている写真がある。一度もスペインに行ったことのないスペイン語教師では、と寂しさを無理に耐えていたのであろう。
 そうして旅立ったスペインはグラナダでのこと。ジプシーたちの住むサクロモンテの丘の上で、道案内をしてくれた七歳と五歳くらいの姉弟が夕暮れの中に佇んでいる写真が残っていた。粗末な服装のその姉は、お礼にと言って出したわずかな額の硬貨をどうしても受け取ろうとしなかった。何かお礼に代わるものがないか、と思って撮った写真かも知れない。しかしもちろん帰国して送ることもできないまま手許に残った。ところでジプシーは観光客に金銭をたかり、時には所持品を盗む、という定評がある。事実、そういうジプシーに会ったこともある。しかしあの薄暮の中の毅然とした態度の姉弟との出会いがあったから、以後「ジプシーは…」といった考え方を決してしたことがない。
 ここに1984年10月24日付けの「静岡新聞」の切り抜きがある。「論壇―日本も悩まされる外国人流入問題」というジュネーブ発信の記事である。筆者は、記憶が正しければ元アルゼンチン駐在大使Kである。なぜそんな記事を切り抜いていたか。そのあまりの低劣な人間性に真底怒りを覚えたからである。こんな奴が日本外交の第一線にいることが許せない。最近外務省役人たちの質の悪さがしきりに報じられているが、今に始まったことではないのだ。彼は文中こう書いている。「泥棒国として悪名高い南米のコロンビア…」。これは元外交官として、たとえ口が裂けても言うべき言葉ではない。これまた記憶違いでなければ、この同じ男は大使時代、日本人ホッテントット説で話題になった。つまりこの男はコンプレックスの塊、まさに優越感と劣等感の複合(コンプレックス)そのものなのだ。
(9/10)

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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