自然と人生

いま目の前に超豪華本(と言うほどのものでもないか)に変身した徳富蘆花の『自然と人生』がある。先日未整理の本の山の中から抜き出してきて改造したのだが、昔々大感激して読んだ記憶がある。しかし今読み返しても感動するかどうか。おそらくはしないだろうな、と思いながら時おりぱらぱらとページをめくっている。記憶に残っていたのは、たとえば次のようなくだりである。「心あらん人に見せたきは此頃の富士の曙。午前六時過、試みに逗子の濱に立って望め…」。
 私の少年時代、富士山は銭湯のタイルの壁に描かれたそれであった。裾の方にあったのは三保の松原だったか。それが中学時代に『自然と人生』を読んでから一変した。横山大観の「赤富士」風に荘厳かつ神聖な山へと変わったのである。しかし太宰治はそうした森厳な富士山像に叛旗を翻す。「富士には月見草がよく似合う」(「富嶽百景」)。そう、富士は太古の昔から存在したのではない。太古からあったのはたんなる土くれの巨大な堆積である。富士はそれを眺める人間と共に誕生し、その人間の眼差しのもとで次々と姿を変えて生きてきた。
 和辻哲郎がそのあたりのことを『風土』の中で解き明かした。純粋の自然など地学か物理学の教科書の中にしか存在しない。たとえば岩手富士もそうだ。その土くれの堆積をたとえたくさんのコンピュータを駆使して細大もらさずデータ化しても、岩手山をつかまえることはできない。ところが一人の詩人(宮澤賢治)の眼差しのもとに、その本質までもが捉えられてしまう。

        そらの散乱反射のなかに
        古ぼけて黒くゑぐるもの
        ひかりの微塵系列の底に
        きたなくしろく澱むもの   (「岩手山」)

 田中角栄のいさましい列島改造論に煽られて、この狭い島国のいたるところが道路やダムによって整形された。山口百恵の「いい日旅立ち」のメロディーに送られて出向いた先に広がるのは、実は生態系をずたずたにされた「絵はがきのように」美しい観光地。そして誰もこの表現に含まれる恐ろしい真実に気づかない。環境破壊の危機が叫ばれて久しいが、自然<を>守り保護する視点からは真の解決はないのではないか。われわれは「環境」と共にある存在、オルテガ流に言うなら、「私は私と私の環境である」つまり環境は私の半分なのだから。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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