クローン人間誕生?

今朝の新聞は、クローン人間第一号の誕生を報じている。その信憑性を疑問視する向きもあるが、ともかくふざけた話だ。首謀者はスイスに本拠を置く新興宗教団体とのこと。パンドラの匣を開ける名目にはいつもプラスの理由が付いている。今回は不妊で苦しむ人のために、という名目が。確かに、自分の血を引く子孫を持ちたいというのは、自然かつ当然の欲求である。しかし自然の秩序を侵してまでも、あるいは神の御旨を無視してまでも、となると話は違ってくる。
 しかしいま「自然の秩序」とか「神の御旨」などと言ったが、そういった前提そのものを否定する立場からすると、欲望の無限追及のどこが悪い、ということになるだろう。原子力問題にしろ生体移植問題にしろ、議論はいつもそこで暗礁に乗り上げるはずだ。極論すれば、もし神なかりせばすべてが許される、と考える者たちの登場は避けられないし、それに反対する決定的な論拠を持ち出すのはおそらく不可能に近いからだ。こうしていくつものパンドラの匣が開かれていく。
 ナチス残党がヒットラーの遺体からヒットラー・クローンを何人も作り出し、彼らを全世界に散在させることによって一挙に「第三帝国」の復活を目論む、という映画『ブラジルから来た少年』の話も恐ろしいが(原作は『死の接吻』のアイラ・レビン)、クローン人間がもし本当に誕生したとするなら、ヒットラー再来の恐怖をはるかに越えるおぞましい事態を招来する。「私とは何者か」という、これまで人間が最終的な答えを出せないできた問いかけに対する、辛うじての論拠であったアイデンティティが見事に空中分解するからだ。不幸はまずそのクローン嬢あるいはクローン君から始まり、サリン以上の腐食性をもって次第に人類を蚕食していくであろう。
 ところで新聞によれば、その第一号クローンは女児とのこと。人祖を男性アダムとしたキリスト教の人類創生のプログラムに対抗したのだろうか。
 自然改造大計画『ノーヴム・オルガーヌム』のベーコン、そしてファウスト博士やフランケンシュタイン博士と、「科学」という化け物信仰はアングロ・サクソンやゲルマン民族の専売特許と思っていたが、今回の主役ラエルはフランス人、先人争いをしていた産婦人科医アンティノリはイタリア人と、このところ民族の壁を越えて馬鹿者どもの登場だ。嗚呼やんぬるかな!!!

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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