住所録の赤い印

一年前まで住んでいたところでは、土曜夜ともなれば決まったように暴走族が暴れ回っていた。S大学へと登って行く幅の広い道路は彼らには日ごろの鬱憤を晴らす最適の場所であり、たとえパトカーに追われても、丘陵地帯の山道に容易に逃げ込める。
 こちらに越して来て、そうした騒音被害に悩まされなくなったのは大変ありがたい。夜七時ともなれば、いっさいの音が遮断され、時にはあまりの静けさで、かえって耳が圧迫されるような感覚さえ味わうことがある。十字架の聖ヨハネの言う soledad sonora(響きわたる孤独)とはこういうものかも知れないと思われるほどである。
 聞くところによれば、この田舎町にも暴走族がいたそうだが、私たちの引っ越しと同時くらいに、暴走族の兄ちゃんたちが警察に解散届けを出したらしい。ということは結成届けというものもあるのだろうか。どういう経緯での解散かは知らないが、街中で暴走しようにも「なんだベー〇〇とこの息子でねーべか」とすぐ身元が割れるし、かといって郊外の国道を走っても行き交う車もないし、畦道に迷い込んだら迷惑がるのは蛙くらいのものである。そう考えると、ちょっと可哀相な気もしないでもないが……
 それが昨夜、久しぶりにバイクのマフラー音が遠くから聞こえてきた。しかしなんと弱々しい爆音、走っていって励ましたいくらいの心細い音だった。またグループを結成したのだろうか、それとも単独で走ってみたくなったのか。どうも後者らしい。もちろん今夜は耳鳴りがしそうな(?)静かな夜に戻っている。聞こえてくるのは、クッキーの寝息(心臓が悪いせいか、寝息は不自然なまでに大きい)、ファンヒーターの回転音、そしてこのパソコンの音(夏の夜の虫の声に聞きなせる)だけである。
 今日はNさんの命日だった。今年はお線香をあげにいけなかったので、これから彼を偲んで香を焚くつもりである。彼が身罷ったときに咲いていた桜もあと少しで開花する。その時は手を伸ばせば届く花の下で、酒盛りと洒落ようか。
 ところでいま目の前に古革で装丁した小さな住所録がある。死ぬまで大事に使うつもりの手帳である。死者を示す赤い十字の印が少しずつ増えている。そのうち黄泉の国に旅立った友人たちの方が多くなるであろう。そう、こうして徐々に静けさにも寂しさにも慣れていくのであろう。
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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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