蚤の復讐

この夏初めての夏らしい日差しの一日だった。ちょうど大熊に行く日と重なった。九時にバッパさんをセンターに送ってから少し休み、出発したのは十一時半。出かける前に、いつももう止めようと思いながら止められないでいる儀式を繰り返す。つまり二階縁側の小型冷蔵庫の背中に当たる障子をずらしてから出かけるという不思議な儀式である。
 いつか冷蔵庫が自然発火したという記事をどこかで読んだことがあり、それ以来、留守にするときは障子をずらして出かけるということを律儀に守っているのだ。しかし別に出かけなくとも、たとえば下に食事のために下りているときだって、発火したなら障子に火が移って火事になるわけだから、考えてみればバカらしい思い込みなのだが。
 この夏の疫病神、蚤の撲滅宣言ももう少しというところまで来た。結局いちばん効果的だったのは、掃除機だった。殺虫剤もあまり効かなかった。それにしても今年の蚤騒動はどう考えても不思議である。つまり猫や犬から出た蚤たちが、どうして人を襲うようになったのか。それもいかにも蚤がいそうな階下の部屋ではなく、二階居間の絨毯が発生源らしいということ。毎日下の縁側で猫たちに食事を与えるときでも、蚤がいる気配はまったく無いのに。
 その蚤について今日、不思議なことを経験した。夕方近く、バイクで買い物に出かけたのだが、走っている途中、右目に虫かごみが入ってしまった。なんとか店屋の前までたどりつき、サイドミラーで見てみると、たしかに黒い小さな虫が右目にいる。幸い指でつまみ出すことができたのだが、どうも蚤のようなのだ。えっ、どうして? そして爪でつぶしてみると、なんとなんと血を吸っていたのだ!!!
 道路を走っている私の目に、どこかでだれかの血を吸った蚤が風に乗って飛んできたのか。それとも、家を出るときからすでに私の血を吸って額あたりにとまっていた蚤が、風に振り落とされて目の中に入ってきたのか? どちらにしても、どうしてここまで執念深く私たちにつきまとっているのだろう? 蚤の呪い? 復讐?

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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