今日も朝からどんよりとした曇り空で、とてもじゃないが元気が出てこない。やるべきことが山積しているはずなのに、どうにも気力がわいてこず、こういうときは機械的な作業でもと思い、ビデオ・テープの整理を始めた。映画を録画したものが溜まりにたまって約350本(つまり映画1000本)。それらを寝室の二面の壁に(梁と天井の間の)作りつけにした棚に未整理のまま並べていたものを、少しずつ整理しようと思ったのである。しかし並べ替えの前にするべきことがある。実はすべての題名をワープロのフロッピーにリストアップしていたのだが、パソコン用のフロッピーに移すとき、どうしたわけかサ行の部分を除いて消してしまっていたのである。
 だから作業は、棚から五、六本ずつ下ろしてきて、それらを登録することから始めなければならない。今日はようやく40本くらいの整理しかできなかった。
 名画もあればつまらぬB級映画もある。おそらくは死ぬまでもう見ることはない映画も混じっているわけだ。バカらしい作業と思いながらも、やり始めた以上ケリをつけたい。考えてみれば、これらの映画を録画したときも、なにかに行き詰まって、ひたすら闇雲に録画しまくったものである。そしてこの作業のあとに本の整理が待っている。階下の仏間があまりに薄暗く陰気なので、明日大工さんにきてもらい、西側の押入れをぶち抜いて窓にしてもらう予定なのだ。これも先日、隣家との境にあった10本ほどのひばの木を切り払ったから思い浮かんだことである。秋の午後など、西日の入る静かな部屋で読書でもしたいと思っている。
 そうだ、この陰鬱な日々もいつかは終わりが来るのだ。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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