ヨブ的悲嘆

三年前の原町移住の前後、原因不明の皮膚病に背中をやられて往生したが、今もまた原因不明の湿疹が左後頭部を襲い、不愉快きわまりない時間をもてあましている。初め、左後頭部が痒いのでぼりぼり掻いていると、その痒さは次第に首筋から耳裏にまで広がった。すると掻き傷の周辺から液状のものが流れ出し、ティッシュでいくらぬぐっても次から次へと滴り落ちる。
 仕方がないので、ティッシュを傷口にあてがったままにしておく。これではまるで密林深く敗走する日本軍兵士の後頭部にひらひらする白い手拭いではないか。もちろんインタホンが鳴って玄関先に下りていくときには、急いで剥ぎ取らなければならない。恥かしいからではない。宅急便のお兄さん(中には長身で美人のお姉さんもいる)をびっくりさせないためである。
 バッパさんをセンターに送り迎えするときも、なるたけ左後頭部を見せないようにしている。これは、いらぬ恥をかかぬためである。近頃はさすがに足どりも不確かになり、自慢の記憶力も減退気味だが、他人の欠点を見つける際には間髪入れぬ素早さがある。「なんだべその瘡蓋、みったくねーこと。医者さ行ってこー」と言われるに決まっている。
 今回も医者には行くつもりはない(今のところ)。前回の背中のときも結局医者にはかからなかった。完治するまでえらく時間がかかってしまったが、医者に行っても同じことではなかったかと思う。なぜなら結局は原因不明のアトピー性皮膚炎であろうし、効果的な治療法も、即効性の薬もないだろうからである。そんなことのために、何時間も待合室に待たされたり、横柄な医者に馬鹿にされたりすることには耐えられない。
 要するに、ストレスから来ているのであろう。まっ、生きている以上、いろいろストレスがあるわけさ。その原因を取り除くことなどできっこないなら、むしろそれと仲よくした方がいい。そして盲腸(まだ残っている)など外科的処置を必要とするものでないかぎり、医者の門を叩かず、あせらずじっくり自然の治癒力にまかせることにしよう。
 さて発症以来、今日で三日目が過ぎた。透明の液体が滴り落ちることはなくなったが、顔から首筋にかけて、蕁麻疹のときのように、皮膚がぼこぼこになってきた。いったいいつにになったら、この試練から逃れることができるだろうか。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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