都営荒川線

都電荒川線は都内に唯一残った路面電車である。JR大塚駅前から西ヶ原四丁目にあった東京外大に通うため週に一度この電車を使った時期があった。ある時期からはその西ヶ原四丁目から大塚駅前を通り越して終点早稲田まで乗るようになった。東京外大での昼前の講義を終え、駅に向かう狭い道に面した中華料理屋でそそくさと昼飯を食べてから早稲田大学でもう一つの講義をこなすためである。運賃は大人160円、子供80円ではなかったか。
 もちろん荒川線というだけあって、西ヶ原から荒川車庫や町屋駅を経てもう一つの終点三ノ輪橋に至る路線である。しかしそちら方に行ったのは、今では思い出せないある用事のために途中のどこかの駅まで行ったときの一回きりである。大塚駅前から西ヶ原四丁目に行く途中には、《おばあちゃんたちの銀座》とげぬき地蔵で有名な庚申塚がある。また一方、大塚駅から早稲田に向かう途中には面影橋などという情緒豊かな名前の駅がある。その両方の駅にいつか機会を作って寄ってみようと思いながら、とうとう果たせぬまま教師生活から足を洗ってしまった。
 いや今日は何も荒川線路線案内などするつもりではなかった。実はその荒川線である日ある時体験したというか目撃したある出来事が、最近しきりに思いされることを言おうとして、つい筆がすべったのである。いや正直言うと、ズバリ切り出せないままその記憶の周辺をなぞったのである。
 その日は、今日のように朝からどんより曇った肌寒い一日だった。巣鴨新田から連れの爺さんを大声で叱りつけながら買い物袋を提げて乗り込んできたばあさんがいた。電車が動き出しても、ばあさんの、その連れ合いに対する大声の罵倒の言葉はいっこうに収まることがなかった。のろま、ぐず、ごくつぶしなどの言葉が速射砲のようにばあさんの口から吐き出された。なにをそこまで言わなくても、と思い、ばあさんの方を睨みつけたりもした。あんな老人には金輪際なるものか、と思いつつ。
 しかし最近になって、あのばあさんの切羽詰った気持ち、苛立ちが分かるような気がしてきた。今なら、あのばあさんを睨みつけるようなことはしないであろう。ばあさんにとって、あの罵倒の言葉、大声の愚痴は、日増しにぼけの度合いを強める連れ合いへの不満であると同時に、いやそれ以上にこの老いたる二人の将来に対する不安と絶望と嘆きの叫びであったかも知れないのだ。ばあさん、みっともない、他人様の前で恥ずかしいとは思わぬか、などとはとても言えないのである。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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