金房村のアブラハム

 『おだかの人物』の話を続ける。埴谷雄高、島尾敏雄、豊田君仙子の三人以外、生前会ったこともないし、その業績・作品を直接見たことも読んだこともなかった。名前だけは知っていたのは杉山元治郎くらいで、あとは『おだかの人物』によって初めてその存在を知ったというのが正直なところである。最近映画にもなって脚光を浴びている憲法学者・鈴木安蔵についても、恥ずかしながら最近まで何も知らなかったのである。
 だから次々とここで紹介していく、などと書いたのはまったくのはったりで、すべてただいま勉強中なのだ。しかしインターネットのおかげで、彼らの作品や彼らについての評論など、ネットの古本屋を通じてかなり集めることができた。たとえばすでに触れた天野秀延の『現代伊太利亜音楽』もそうだし、半谷清寿の『将来乃東北』、平田良衛の『農人日記』や訳書レーニン『何を為すべきか』、大曲駒村の『東京灰燼記』などもそうである。中でも鈴木安蔵の著作は名著『憲法の歴史的研究』など八冊ほど購入することができた。ネットがなければ、神田の古本屋街を何日かけて歩き回っても、その半分に出会うことさえ無理だったであろう。ただし手に入れただけでは何の意味もなく、というより他の有意の人の邪魔をしただけであろう。しっかり読まなくては、と思っている。
 したがって彼らについては、報告すべきことが蓄積された段階で、あわてずゆっくり書いていくことにしたい。とりわけ杉山元治郎についてはぜひ調べてみたいと思っている。なぜなら、若くして社会運動家を志した杉山元治郎は、大阪府出身ながら一時期牧師として小高に住み、土地の農民たちとの交流の中から後の日本農民組合結成の下地を作るのだが、その農民たちの中核にばっぱさんの祖父がいたという個人的な関心があるからである。
 杉山の「私の農村伝道」という文章(『土地と自由のために――杉山元治郎伝』(代表川上丈太郎、昭和40年発行)の中にこんな一節がある。「小高は相馬の海岸地、黒潮のその岸を洗うところで、東北とはいえ割合に温い、信者は数人しかいないという私にはあつらへ向きのところである。行って暫くするうちに、一日金房村にある信者の一家庭――私どもがアブラハムと呼んでいた一農家――を訪問するつもりで行くと……」。そのアブラハムこそばっぱさんの祖父なのだ。
 はぐれキリシタンどころか、いまや自ら完全にキリスト教から離れているこの私に、アブラハムと呼ばれる祖先がいたとは……

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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