さらに『おだかの人物』の話を続ける。この本で紹介されている10人はいったいどんな基準で選ばれたのだろう。監修者のことばを読んでもその点ははっきりしない。しかし結果的には実に面白い、というか興味深い人選ではある。
オルテガの世代論を援用して、これら同時代人を一つの群像として描いたらどうなるだろう、とできもしない夢想を掻き立てるにはじゅうぶんな布陣である。世代という点では1858年生まれの半谷清寿は二世代先行するが、他の九人は同一世代として括れるであろう。その目だった特徴はいずれも「異を唱える人」ということではないだろうか。それは政治的な意味での異論でもあるし、思想的・文学的な異論でもある。前者を代表するのは、杉山元治郎であり平田良衛であり、後者を代表するのは鈴木安蔵、埴谷雄高、そして島尾敏雄である。東北地方でも比較的に温暖であり、性格的にものんびりした土地柄なのに、いささか奇異に感じられる特徴である。
相馬は先鋭なプロテスタンティズム(原意は抗議するの意である)、農民運動、共産主義、社会主義、革新主義とは異質な風土という感じがあるのに、なぜだろう。
実は今まで、存在ではなく非在を、実体ではなく虚体を強調した埴谷雄高や、現実よりも夢を、固着したヤマトより可能性に開かれたヤポネシアを主張した島尾敏雄の文学思想は、相馬の土着的なものとは無縁であり、むしろ植民地台湾やメトロポリス東京、異国情緒あふれる神戸や長崎をその発想の磁場にしたものと思ってきた。しかし彼らに平田良衛や鈴木安蔵を対置させてみると、相馬の風土そのものが彼らの人間形成や思想形成に思った以上の深い影響を与えたのではないか、と思えてくる。
私自身、小高に暮らしたのは半年だけである。小学五年生の秋、家族して帯広から小高に移り、翌三月、隣町の原町に移るまでの半年である(現在は二つとも南相馬市となる)。その半年間、クラス担任であったのは今は亡きI先生であった。女先生にありがちな湿った側面は微塵も感じさせない、実にさっぱりした、というかはっきりした先生であった。党員であったかどうかは知らないが共産主義者であるとのうわさを聞いた。こんな田舎なのに、と不思議に思った記憶が残っている。
もちろん必ずしも共産主義イコール革新でも開明でも自由でもないが、共産主義に対して無用な嫌悪感や警戒心をついに持たなかったのは、このI先生のおかげかも知れない。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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