あの熱気をいま一度

原町文化センターで、午後二時から「原町九条の会」の年次総会があった。あいにくと小雪が降っていて、昨年より出席者が少ないように感じられたが、議事進行の過程で熱心な意見交換も行われた。左隣りには先輩の詩人 ■氏が、右隣りには妻がいて、二重に(?)気兼ねがあったが、私も思い切って意見を述べさせてもらった。
 要点は二つ。一つは、若い世代へいかにして運動を広めるかに関してだが、私たちの住むこの地方には、時代や中央になびかない人たちの血が脈々と流れていることを私たち自身が先ず認識する必要があるのではないか、というものであった。昨日ここに書いたように私たちの先達には多くの独異な逸材が、つまり「異を唱える人たち」がいること、この彼らから多くを学び、それを若い世代に伝えること、そしてその上で、この地方ならではのユニークな発信をすべきではないか、という主張である。
 第二点はそれと深く連動することだが、そうした知的遺産を私たちが互いに教え合い伝え合うための手段としてインターネットを使わない手はないということ。この相互理解、相互啓発の過程で若い世代との連帯を模索できるのではないか。事実私の周囲にも、インターネットの分野で役立ちたいと言ってくれる若い世代が存在する。
 以上二点を舌足らずな形で述べた。ここでさらに補足したいのは、私自身インターネットにはまったくの素人ではあるが、政治的なものだけではないもっと広い思想やメッセージをすばやく、かつ広範囲に広げる手段として、その可能性を真剣に考えてみる必要があるのではないか、ということである。
 これに関して懐かしく思い出されるのは、まさにこのサイトの「伝言板」で、かつてこの問題に関して熱心で真剣な話し合いが行われたことである。きっかけは2003年3月5日、私がイリイチとインターネットについて触れたことであった。それに対して即座に「しげき」さん、「ゆう」さんが応じ、さらに「えにしだ」さん「カフェクリオージョ」さんが加わった。残念ながらその記録はネット上からは消えてしまったが、幸い拙著『新たな人間学を目指して』にそっくり収録されている。読み返して、当時の熱気が懐かしく甦ってきたが、それ以上に、あの熱気をなんらかの形で持続させ具体的な成果に結び付けられなかったことがなんとも悔やまれる。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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