アクリル板の向こうに

オルテガ自身、derecho という言葉の両義性を注の16で次のように説明している。

「《の権利を私は持っている》(tengo el derecho de)という風に言われるときには、この derecho は、主体の或る観念上の所有権のことである。《裁判官は法に則って行動した》(el juez ha obrado conforme a derecho)と言われるときには、 derecho が意味するのは、客観的な或る規範である」。

 なるほどそこまでは分かる。しかし問題は、それぞれの文章の中で、derecho という言葉がそのどちらを指しているのか判然としない場合が圧倒的に多いということである。白状すれば、『大衆の反逆』の訳文で、その問題はいまだにすっきりしていないのである。日本語では二つは、つまり法と権利は明らかに違った言葉である。 

法 = 社会秩序を維持するために、その社会の構成員の行為の基準として存立している規範の体系。
権利 = 一定の利益を自分のために主張し、また、これを享受することができる法律上の能力。

 以上はたまたま机の上にあった『デジタル大辞泉』の定義の一部だが、『広辞苑』その他もこれと大同小異であろう。
 どうもこの数日、従来の『モノディアロゴス』とは明らかに異質な文章が続いていて、こんな研究論文の下書きみたいなもの読みたくもない、と思われるであろう。ごもっとも。この問題はこの辺で切り上げて、後は孤独な作業に戻ろう。
 それにしても寒い日が続く。二階の居間と障子一枚へだてた廊下の片隅でこれを書いているが、陽が差す日中ならともかく、夜になると底冷えがして、長時間机に向かっていることは無理である。昨年はどうしていたんだろう。たぶん電気ストーブを足元に置いていたのではないか。今年も最初のうちは小さなセラミック・ヒーターというのを足元に置いていたが、300Wでは寒すぎ、600Wに切り替えてもさほど暖かくはならない。電気代ばかりかかって不経済。ということで現在はネットの電気屋さんから購入した足温器を使っている。確かに30Wと60Wの二段切り替えで電気代は安くなったが、足の裏ばかり熱くなるが、脛から膝にかけては掛けたタオルケットだけでこの寒さに耐えることは無理のようだ。
 もう少しで暖かくなるから今年は我慢と思っていたが、先ほどネットの電気屋さんに電気ひざ掛けを注文した。足温器と合わせても80Wで済むのだから安いものだ。なぜ早くからこれを思いつかなかったのだろう。
 机に向かいながらも眼を右に転じれば、居間でテレビを見ている妻の姿が見える。つまり眼の高さの障子紙の一部に透明なアクリル板をはめ込んでいるのだ。だが今は妻の姿は見えない。夜の10時半、今晩はふだんよりすこし早めにベッドに入ったからだ。私が寝る前に起こしてトイレに連れて行けば、次は何時、その次は何時とケータイの目覚ましをセットする毎日にも慣れてきた。このまま無事に行けば有難いのだが。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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