喜界島の黒糖焼酎

以前は毎夕、食事時に妻とアルコール類を飲んでいた。アルコール類などと曖昧な表現を使ったが、じじつ、実に多種多様な酒を楽しんでいた。それがいつのまにか私たち夫婦の習慣から消えたのは、私自身の健康のため次第に控えるようになったからである。とんだ巻き添えを食らったのは、もともと私よりお酒が好きな妻の方である。しかし記憶障害のためか、特に欲しがるようでなかったので、いつか食卓から、戸棚から酒類の姿は消えていた。
 時おりいただくワインなども、何ヵ月も壜の途中で減らないまま放置しておくこともある。以前だったら考えられないことである。ところが最近、たまたまスーパーで目に付いた黒糖梅酒を夕食後などにちびりちびり夫婦で飲むようになった。「とろける黒糖梅酒」とあるように、実に甘ったるい。だからたいていは100パーセントグレープジュースで割って飲んでいる。
 それが残り少なくなったので、今日スーパーの酒売り場を見ていったら、焼酎コーナーで喜界島という字が飛び込んできた。900mlの壜の中に透明な液体が入っている。黒糖焼酎ということだ。このところ島尾敏雄や眞鍋呉夫のことが頭の中に残っていたので(眞鍋宗匠にはちょうどお手紙を出したばかり)、島尾敏雄の小説の中でおなじみの「喜界島」という名前が眼に止まったのであろう。
 しかし喜界島の位置関係が良く分らない。島尾敏雄の文学碑が立っている加計呂麻島の近くなのだろうか。さっそくネットで検索。大島や加計呂麻島より少し東の方に離れて位置する島だった。黒糖というからには、もちろんサトウキビを絞った汁で作った黒糖を主原料とする焼酎である。森山良子の「ざわわ、ざわわ」でも聞きながら、今晩あたり飲むことにしよう。ただしアルコール分25度なので、例の通りグレープジュースで薄めて。
 いや、今日は7時から、歩いて行けるところにある飲み屋でスペイン語教室の親睦会があり、たぶんそこでワインを飲むであろうから、今晩は控えようか。
 いま午後四時四十分、窓のカーテン越しに見える暗い西空に茜色の雲がたなびいている。車の音も聞こえてこない全くの静寂である。妻がときおり何か訴えるような、しかし聞き取れない小さな声で「報告」しにくる。「そうだね、でも心配ないよ」と答えれば、納得して自分の椅子に戻っていく。今日は夕食はいらないと頴美に伝えているが、いつもなら五時二十分ごろに食べるので、簡単なサンドイッチでも作ろうか。ああ、今日も無事に一日が終りそうだ、この不景気の世の中の片隅で。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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