希望と絶望の奇妙な弁証法的関係についてはまた項を改めて述べてみたい、などと大見得を切ってはみたが、格別の考えがあるわけではない。ただこのところ、古いビデオテープをDVDに移し替える作業で、いくつかまとめて小津安二郎の映画を観る機会があり(といって全編じっくりという観方ではないが)、合わせて、つまり希望と絶望についての想念と混ざり合う形で、ぼんやり去来した考えをなんとかまとめておこう、といった程度のことである。
とっかかりとして、『東京物語』などに出てくる日本人たちがなぜああまで上品で、いま流行の言葉で言えば「ヒンカク」があるのか、を考えてみよう。彼らの考え方や立ち居振る舞いを律していた日本古来(これも要検証の言葉だが)の道徳が根底にあるからなのか。そして最近勢いを増してきた復古論者、というより亡霊のように現れた国粋主義者あるいは旧国体護持論者の言うように、あの「ヒンカク」を取り戻すには、戦前のような道徳教育が必要なのか。
確かに彼らの言うことにも一理はある。戦後教育が旧来の道徳を否定しただけでそれに代わる新しい道徳をそれと分かる形で教えてこなかったことは事実で、そこから野放図な個人主義が蔓延したことは間違いない。しかしそれはあくまで一理であってすべての理由ではない。つまり小津映画の中の日本人は、道徳教育が染み付いていたから品格があったのではない。それら道徳を受け入れ無理なく実践するだけの度量があった、あるいはその能力があったからこそ品格があったのだ。
どうしてそうありえたか、と問うとき、あの希望と絶望の絶妙な関係が浮上してくる。誤解を恐れずに言い切ってしまうなら、小津映画の中の日本人は深く絶望しているからこそ同時に強い希望の中に生きているからではないか、というのが私の仮説である。そしていま私は「小津映画の中の」と限定したことも重要である。つまりあのまま(?)の日本人は戦前も、そして映画の背景となっている戦後すぐの時代にも、存在していなかったのである。つまり彼らはあくまで映像の芸術家小津安二郎の造形した「日本人」だということである。
絶望という言葉が唐突なら、それを喪失感と言ってもいい。つまり小津はまさにいま失われようとしているものを必死に捉えようとしている。いやもっとはっきり言えば、もともとそのままの形では存在していないものを、必死に浮かび上がらせようとしている、と言ってもいい。たとえばあの有名なロー・アングルがそのためのまさに適切かつ不可欠の手法となっている。あのアングルから撮られた日本人こそが、もっとも安定し上品であることを熟知していたからである。
低く固定されたカメラから撮られた人間なり家具なりは、文字通りゆるぎない現実そのものと見なされるかもしれない。しかし本当にそうであろうか。実はそこに捉えられたものは、たとえば鏡像がそうであるように、まさに虚像なのだ。実際の現実(同語反復だが)は、たえず動き、流れ、消えていくものである。
※難所に差し掛かりました。明日また続けます。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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