カメラの良さは画素数の多さに非ず

今までどこにしまっていたのか、先日、ばっぱさんが週刊誌大に引き伸ばされた昔の写真を出してきた。磐城小高遠藤写真館の台紙に千代五歳、誠一郎二歳の大きな写真が貼られてある。裏に大正五年五月二十一日撮影とある。弟の誠一郎はよだれ掛けをつけて大きな椅子に坐らされているが、その横で晴れ着をきたばっぱさんの顔を見て驚いた。愛そっくりなのだ。晴れ着は着たが、はだしのままの利発そうな女の子。
 ホームに入るときに古い写真やらノートやらを持っていったが、この写真は初めて見た。九十三年も前の写真だから、遠藤写真館とやらも今はないか。今度調べてみよう。ただ残念ながらこれはコピーである。原版はどこにあるのだろう。
 コピーであれ、これも再コピーしておく必要がある。しかし最近、長年愛用してきた COTAX i4R という超小型(ケータイより小さい)のカメラがどうも調子がよくない。等間隔の縞が画面に無数に出るようになったのだ。スナップ写真だけなら、画素数は少ないけれどケータイで充分間に合う。しかしマクロにして写真をコピーするにはシャープさが足りない。でもコンタックスを修理に出すとなればかなりの修理代がかかるだろう。それにこのカメラの生産はすでに止まっている。
 それでネットでいろいろ調べると、六千円ちょっとでかなりいいデジタル・カメラが手に入ることが分かった。この際、思い切って買い換えよう。選んだのはフジフイルムの FinePix AX200 である。そしてそれが三日前に届いた。軽いし小型だしデザインもいい。で、さっそく例のばっぱさん幼かりし時の写真をマクロで撮ろうとした。ところが画面が思い切り樽型になるのだ。専門的にこれをどう表現するのか分からないが、ともかくせっかくの利発そうなばっぱさんの顔がゆがんでしまう。
 画素数がコンタックスの三倍の千二百万もあるのに、レンズが安物なんだろう。そう考えると、カールツァイスTという名だたるレンズを搭載(なかなかいい日本語だ)しているコンタックスをこのまま廃棄するのはなんとももったいない。
 こんな話いつまで続けるのもなんだから端折っていうと、今日、長野県岡谷市にあるという京セラ・岡谷サービスセンターにカメラを送った。でその際、このところなにかと人騒がせなことのあったレターパックで送ったのである。ところがレターパックの説明を読んでみて、はたと困った。お金は送れないことは知っていたが、精密機械も送れないと書いてあるのだ。しかしさらに良く読むと、たとえば時計のような精密機械を送って途中そのために故障や破損があっても責任は持ちません、ということらしい。
 しかし品名をカメラなどと書くと、またまたまじめで融通の利かない係りの手にかかって(?)突き返される可能性大である。それで考えたのは品名を「スライド(マウント)」としたのである。これなら写真に関係あるものだから、まったくのウソでもなかろう(とは強引だが)。ともかく爆発物でも贋金でもない、それにたとえ破損しても一切責任を問わないのだから良しとしてもらわねば。
 投函したのが美子と散歩に出た午後の三時ちょっと前。そして五時過ぎ、ネットで追跡したら(あの日以来、ものすごく正確にシステムは動いておりまする)五時二分引き受け、と出ていた。明日あたり岡谷に着くであろう。依頼用紙に見積もり五千円以内なら修理頼む、と書いたが、果たしていくらかかるだろう。一生(といってそれほどの時間は残されていない)使えるならそれくらい(いやもう少しかかっても)は奮発しようか**

ディストーション(distortion)と言うらしい。
**結局総額一万一千円、それも送料分をなんとか負けてもらって、かかることになった。痛い!

★追記 今見てみたら FinePix AX200 は一万円に値上がりしていた。良かった安いときに買っておいて。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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