阿Qと堂吉詞徳

今日も寒い一日であった。あっという間に日が暮れて夜になってしまった。たまには息抜きも必要だろうと、十時からテレビでサッカー・アジア・カップを観た。途中何回か眠気が襲ったが、とうとう最後まで見た。相手は今回既に二敗して敗退が決っているサウジ・アラビアだが、かえってやけくそで向かってくるかも知れないと苦戦を予想したが、終わってみれば五対ゼロの快勝だった。
 本当は『阿Q正伝』を読み直すつもりだった。試合を観戦しながらも読み続けていたのだが、記憶にあったよりも長い小説で、三分の一にも進まなかった。でも中野美代子女史の示唆があったせいか、この小説の醸し出す雰囲気がドン・キホーテのそれと極めて似通っていることに改めて気づいた。そういえば以前、『吶喊』のスペイン語訳を読んだときも、魯迅の文体が日本語よりスペイン語にぴったりだと感じたことを思いだした。つまり茶褐色に広がる乾燥した風景が目に浮かび、その中に住む人間たちの関係も、スペイン人のそれに極めて似ているからだ。
 ところでドン・キホーテは中国語で堂吉詞徳と書く。西洋人の名前を中国語で表記するとき、単に音だけで漢字を選ぶのか、それとも漢字の意味を考えて選ぶのか、実は調べたことがない。しかし堂吉詞徳とは、なんとなく意味がありそうな感じがする。わが貞房文庫にも『ドン・キホーテ』中国語訳が二種類ある。屠孟超訳(訳林出版社、2005年、第4次印刷)と楊絳訳(上下、人民文学出版社、2006年北京第1次印刷)である。もちろんどちらが優れているか、私には判断のしようがないが、仄聞するところ、どうも後者が優れているようである。
 最近まで北京大学でスペイン語を教えていたオエストさんに、中国におけるスペイン語ならびにスペイン文学研究の現状など詳しく聞きたいと思いながら、まだ果たせないでいる。『西班牙文学史』(北京大学出版社、2006年)を書いた沈石岩教授とも親しく付き合っているというので、オエストさん在任中に北京大学を訪問したかったのだが、時機を逸してしまった。彼の通訳・道案内を頼りに熱河の灤平再訪を企てたこともあったのだが、さて残りの人生で再度挑戦なんてことが可能だろうか。
 それはともかく、『ドン・キホーテ』と『阿Q正伝』の読み比べが、実り多い結果をもたらしてくれるのは間違いなさそうだ。冗談じゃなく本気にチャレンジしてみようか。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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