とんだ(飛んだ)連想

 「平和菌の歌」を作っていたときだ。他にも「…の歌」という言い方があるな、と思った。「…の歌」などごくありふれた表現だが、そのときは或る一つの具体的な言葉を思い出そうとしていたのである。
 もちろん若いときからいわゆる度忘れはしょっちゅうあったが、特に固有名詞が思い出せないことが度重なり、いよいよ(いやもうすでに)ボケてきたか、とちょっと心配になってきた昨今である。大先輩の埴谷雄高さんはあるときからボケ症状をしきりに言い出されるようになったが、そのときの埴谷さんよりずっと若いのに情けない。だから思い出せない言葉があるときはなんとか思い出そうとしている。
 その「…の歌」の「…」の部分をようやく思い出せたのは、探索を始めてから(ちょっと大袈裟)二日は経っていたのではなかったか。そうっ、マルドロールだった。あとは作者名を探すのは簡単だった。ロートレアモンである。しかし作者のこともその作品のこともまったく知らず、ただ記憶の片隅に名前と題名だけがこびりついていただけなのだ。
 読まなければならない本、やらなければならない雑用が山積しているのに、こうして苦労の末に思い出した本がなぜか気になり、とうとう先日アマゾンに注文してしまった。それが昨日届いたのである。A5判箱入り、470ページの『ロートレアモン全集』(人文書院、1974年、重版)という立派な本である。もちろん値段が安くなければ買わなかった。送料込みで534円(!)。栗田勇の個人訳である。急いで作者と作品について調べてみた。
 ロートレアモン(1846―1870)フランスの詩人、本名イジドール・デュカス、南米ウルグアイ生まれで、生前はまったく無名のまま若くして世を去ったが、後年、悪と反抗のテーマ、苦悩と幻想の世界を豊かな感受性で歌った散文詩『マルドロールの歌』により「解剖台の上のミシンとコウモリ傘の出会いのように美しい」という詩句と共に、シュールリアリズムの先駆者となったそうだ。
 私とは真逆な生涯と文学世界を生きたロートレアモン、さて彼の世界に入っていくつもりがあるのか? まだ決めかねている。というか(何て嫌な表現だこと)私の日常は実に散文的(散文詩的に非ず)に流れている。たとえば今日である。市役所で久しぶりに瞬間湯沸かし器が沸騰した。反抗といっても決して高尚なものではなく、実に具体的瑣末的な反抗(?)である。
 要するに、美子の車椅子用車両の税が減免されるには、美子の印鑑登録が、そして本人が市役所に来れないなら代理人選任届が必要と言われ、その手続きのために市民課に行ったのだ。しかしなぜ来れないかの事由欄に「認知症のため」と書いたところ、それでは本人の意思が確かめられない、そのためには「後見人なんとか」の手続きが必要…昨日の話では本人が押印できないなら拇印でいい、と言われ、美子の拇印を押してきたのに。認知症患者は減免の適用外と明記されているならともかく、あなた方は何を求めているのか、誰を助けようとしているのか、矛盾してるじゃないか…
 つまり印鑑登録の制度と障害者への減免措置とがまったく噛み合っていない現行制度の矛盾なのだ。ただ実際の運用場面で、たとえば認知症と書かずに怪我・病気などのために代理人・代筆人を立てるとだけしたなら、それで書類は通ったはず。正直に「認知症」と書いたばかりに…
 ともかくその若い(といって私から見ればだが)男ではラチが明かないので、「課長さん」に会わせろ、と要求。しかしもしも出てきた課長がその若い男に輪を掛けたような杓子定規の男だったら、さてどうなってただろう? ところがしばらく経ってその若い男と一緒に出てきた(来られた、と急に敬語にするが)のは女性課長さんで、やっと話が通じたのである。私の本(たぶん『原発禍を生きる』だろう)も読んでくださってるそうで、おまけにばっぱさんのこともご存知の方。とうぜん話はあるべき方向で決着。つまり「病気のため」という事由に書き直して明日改めて持参するという風に。
 黒澤明の名作『生きる』の志村喬演じたあの実直誠実な市役所役人を思い出しながら、晴れ晴れとした気持ちで家路についた、とさ。メデタシ、メデタシ。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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とんだ(飛んだ)連想 への2件のフィードバック

  1. 阿部修義 のコメント:

     貞房文庫を見ていて、暁烏敏の名前があったのには驚きました。先生を知ったのはNHKの「こころの時代」を見てなんですが、たまたま見たのではなく昔から見ている番組に先生が出演されていた。そういう経緯です。この番組に暁烏敏の名前が良く出てくるんですが、この人が講演されたお寺で「今ここで死ねますか」と聴衆の前で言った話を今でも深く印象に残っています。黒澤作品の『生きる』も主人公が死を意識して良心に従った生き方に本当の生き甲斐を見つけたという結末でした。本なども生きるか死ぬかの戦地に身を置くと魂のこもった生命(いのち)の書物しか読めなくなると聞いたことがあります。なかなか日常生活で死を意識することは難しいことですが、人間は本来良心を内在して生まれて来たわけですから、どちらが自分にとって得か損かではなく、どちらが自分の良心に従って正しいかということを考え、実行することが大切なように思います。

  2. ちか のコメント:

    役所のこのような対応はよくあるようですね。
    規則だから無理です、と言われてなんのための規則なのか腹が立ちます。
    話のわかる人がおられてよかったですね。

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