隣の部屋の壁二面に天井まで届く書棚の中の本は、整理されないままにただ並べられているにすぎない。五年ほど前に吉田建業さんに備え付けの書棚として作ってもらった時も既に順不同に並べたはずだし、昨春の大地震の際に投げ出されたあとでは、さらに乱雑を極めている。死ぬまできちんと整理されることがあるんだろうか、などと側を通るたびに情けない思いに駆られる。
しかし時おり何気なく手に取った本が忘れていた過去を一気に思い出させてくれるという楽しみもまた捨てがたい。昨日の午後もそんな一冊に出会った。例のごとく布で装丁し直したその本の原型はすでに跡形もないが、題名は『爆弾と銀杏』、作者はマイケル・ギャラガー(訳者・太田浩、講談社、1970年)である。裏に鉛筆で200円と書かれているから、古本屋で求めたものだろう。
購入時にも懐かしいと思って買ったはずなのに、そのころは(いつごろ?)生活に追われて読む暇もなく放置したままになったようだ。ほぼ無名だった作者の本にしては序文が三島由紀夫、野坂昭如、遠藤周作という異例の豪華な顔ぶれである。ともかく懐かしいと思ったのは、作者とは石神井のイエズス会神学院で同じ釜の飯を食った仲であり、聖職者への道から降りたのも相前後していたからである。
明らかにアイルランド系アメリカ人と思われる作者略歴を見ると、1929年生まれで、1953年合衆国陸軍兵士として来日、日本に魅せられて日本語を独習。帰国後、学校教師などを経て、七年後の1960年、今度はイエズス会修道士として再来日、以来1967年に還俗して離日するまで、大阪釜ヶ崎で一労務者として働いたり、東京大学の講師を勤めたりもした。本の内容はそのときの体験記であり、題名の爆弾と銀杏はその二つの体験を象徴するものらしい。
文中実名で登場する彼の友人たちは、私もすべて覚えている人たちだが、そのほとんどが彼と同じく後に還俗している。当時私は哲学生、彼らは数年上の神学生だった。いや彼の同級生たちだけでなく、私と同じ年に広島の修練院の門をくぐった七人のうち、最後まで残ったのは確か四人、他の三人は私を含めて辞めたはずだ。このころ(年代を確かめるのも今回は省略させてもらうが)、要するに第二バチカン公会議の自由で開放的な春風がカトリック教会全体に吹き寄せて、たくさんの有意の青年たちを聖職者への道に引き付けると同時に、更なる自由を求めてもっと広い世界へと飛び出させたと言っていいかも知れない。
つまりよく調べたわけではないが、現在は聖職者志望の若者は激減し、去っていく者は…さて割合としては増えたのか減ったのかは知らない。ともかく、この現象は宗教界のみならず、他のあらゆる領域にも見られる現象ではなかろうか。たとえば出版界である。1960年代、あらゆる種類の思想全集、文学全集、教養全集が次々と企画され、出版され、そしてそれなりに読者が付いた。こうした時代の変化やうねりは社会学の格好の研究対象のはずだが、果たして正確な分析結果が出ているのであろうか。私にもう少し(ですかー?)才能があるなら、ドイツ教養小説風の自伝でも書いたろうが、もう遅すぎる。
ギャラガーさんは劇作家志望だったが成功したのだろうか? 野坂昭如は、いまだ独身(もちろん本書出版のころ)なのは或る日本人女性に失恋したからだなどとすっぱ抜いているが、その後どのような道を歩んだのだろうか? 彼は、映画「ロング・グッドバイ」のエリオット・グールドに似たなかなか魅力的な男だったが、もう八十二歳のはず。映画で思い出したが、遠藤周作氏は彼の『おバカさん』の映画化にはギャラガーさんを是非主役にと思ったそうだが、彼の離日でその話は流れたそうな。翻訳者としては三島の『豊穣の海』、遠藤の『海と毒薬』、野坂の『エロ事師たち』などを翻訳して成功したはずだが…。最後のものは確か彼からもらって書棚のどこかにある。
そして今日は、その流れで、当時の友人たちのこと調べているうち、悲しいニュースにも出会ってしまった。私より一級下の松岡洸司神父が昨年七月に亡くなったことである。修練時代、なぜか彼が子犬のように私を慕っていたという記憶がある(当方の勝手な思い込みかも知れないが)。いつかそんな思い出話を共に語る時があればな、と思いながらぶつかった悲しい事実である。最近の写真を見ると、子犬のような、などと失礼な言葉は急いで撤回しなければならないほど、大学の数々の要職を歴任した威厳ある神父さんになっていた。でも記憶の中の彼は、そう、なでしこジャパンの川澄選手を男にしたような、とても優しく人懐っこい20台の青年である。
あゝいつの間にか私も歳を取ったんだなー、とつくづく実感した今日の午後でした。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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本というのは案外整理すると読まないものだと私は個人的考えを持っています。書棚に作家別に読了して並べられた本は背表紙の題名を見て満足してしまいます。読み返す本は、机上に栞を挟んで無造作に置かれていて、それが何冊も積んである状態になっています。最近は先生のものを10冊購入しただけでそれ以外は買っていません。先生が三島由紀夫にふれていて何故あのような壮絶な死を選んだのか。そんな事を考えていました。陽明学を危険思想とする風評もこの事件がきっかけだったように記憶しています。しかし、明治維新のころの吉田松陰や坂本龍馬、それ以前の中江藤樹は陽明学の影響を受けて傑出した人物になりました。本という物は読み手の読み方次第で解釈も千差万別なのかもしれません。先生の『モノディアロゴス』も、そういう意味合いの強い本だと思います。