一難去って、また…

今日も美子の介護についてのお話。そんな報告読みたくもないと言われるかも知れないが、そう言われる方はどうぞ以後このモノディアロゴスに近づかないように。なんだか初めから喧嘩腰、過剰防衛で申し訳ないが、それだけこちトラ本気モードだということである。
 ともかく臆せず書かせてもらおう。なぜなら介護初心者の私にとっても、ときおり寄せられる介護情報や経験談はまさに干天に(の)慈雨の喩えどおり実にありがたいからだ。
 それはともかく、昨日のことである。この数日、食事時、美子の口がこれまで以上に開かず、ようやく口に入れても、咀嚼はするが一向に呑み込まなくなっていた。朝はいつもの通りパンと野菜ジュースの食事をしたが、入浴サービスのヘルパーさんに「美子先生(嬉しいことに、美子の前歴を知っていつもそう呼んでくださる)少し元気なさそうですね」と言われた。顔色も良いし熱もなさそうだが、確かにとろとろと眠ってばかりいる。
 そんなわけで昼食もほとんど食べてくれず、ちょっと心配になってきたが、時おりは眼を開いて、別に辛そうな様子でもない。トイレサービスは今日からなくなったので、昼寝はたっぷりしたはずだが、しかし夕食時に車椅子に乗せても眠っている。これまで無かったことなので、ここで大いに心配になってきた。
 昨日打ち合わせに来てくれた訪問看護婦のYさんに電話したが捉まらず、それでまだ六時ちょっと前なので、いつもお世話になっているIクリニックに電話してみた。すると運がいいことに、I医師その人と繋がった。現況を報告すると、診療が終ったら7時ごろ往診してくださるとのこと。ありがたい! すると連絡が回ったのか相次いでYさん、続いてケアマネージャーのOさんが来てくれた。
 I医師が来られる前にYさんやOさんから、これまでの食事のさせ方を根本から変える必要を伝授される。お二方とも昨日の相談会以後ずっとそのことを考えておられたそうだ。何とありがたいことだろう、この方たちは実に親身に美子のことを心配されておられる!
 Yさんがちょうど手持ちの「エネルギーの補給 マスカット味」というゼリー状のものを小皿から匙で美子の口元に持っていくと、何と! 口を開けて食べ始めるではないか! お二人とも元気のいいお声(失礼!)なので、それで眼を覚ましたのかも分からないが、急に何時もの元気な美子になってきたのだ。
 熱も無し、脈拍も正常、あとなんかの数値も出たがそれも正常。奇跡である。お二人の話を総合すると、食べ物を口元に持っていけば機械的に咀嚼はするが、唾液その他の関係で呑み込めず、それに疲れが重なって食欲がなかったのでは、ということである。側にあった今晩の食事メニューを見て、あゝこれではだめですわ、と言下に言われた。
 咀嚼はするので、これまで通り固形物を与えていたが、それだと嚥下が難しく、下手をすると誤嚥その他で肺炎になる危険があるそうだ。それは漠然と知っていたが、美子がもうその段階に来ていたという厳しい現実を思い知らされた。これからはたとえ私と同じ料理を食べさせる場合であっても、ミキサーにかけ、とろみを加えたものを与えなければならないそうだ。
 これからはヘルパーさんに来ていただいて、そうした半液状のものを作ってもらい、それを常時側にいる私が適当な時間に(つまり朝昼三回にこだわらないで)美子に食べさせることを勧められた。当方、全く異存ありません、というより、全面的に従います。
 この数日、介護も新しい局面を迎えているな、とは感じていたが、本気でこの局面に対応しなければならない事態になったわけだ。
 そこにI医師も駆けつけてくださり、実は電話からちょっと危険な状態を予想していたが、これで安心とおっしゃる。なんだか騙して往診してもらったかたちになったが、この千載一遇の機会を逃す手は無い。かくして美子介護態勢に関する三者いや四者会談の開催と相成った。Oさんは二十年近くも仙台のカトリック系介護施設で働いていたベテラン、I医師は中学時代のばっぱさんの教え子、そしてYさんは声も大きいが肝っ玉も大きな頼もしい訪問看護婦さん。息子一家がいなくなって内心不安な日々を送ってきたが、ともかくこれで光が見えてきた。
 美子の久しぶりの笑顔を見て、あゝ美子も雰囲気でこの明るい展開を喜んでいるんだな、と思った。ということは、もしかして可愛い愛がいなくなったことをどこかで感じ取っていて、それで元気を失くしていたんだ、と思い至り、途端に美子が不憫に思えてきた。
 そして無事一夜が明け、今朝は矢張りYさんが置いていったバランス栄養食「カロリーメイト アップル味」を一袋ぺろりと食べてくれた。それで勇気が(もちろん私めの)湧いてきて、昼前に買い置きしていた餃子の残りとプレスハム少々、野菜サラダ、そして野菜ジュースと「とろみ味」一袋をミキサーにかけてみた。家にあったミキサーを使うのは初めてだったが、まあまあの味のジェリーが出来上がった。これならヘルパーさんの助けが無くても私でも作れる。
 ちょうど出来上がったときに、Oさんがパックに入った白かゆとか温泉玉子とか、オマケにエプロンまで買ってきてくれた。昨夕彼女に頼んでいたものである。ジェリー状の試作品を見て、これは上出来!、と褒めてくれた。ここで二人はハイタッチ、まさかそこまではしませんでしたが、貞房氏の介護初級試験は見事合格。
 長々とつまらぬ報告、ここまで読んでくださったあなた、あなたも本ブログ読者初級試験に合格です! おめでとう!

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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一難去って、また… への1件のコメント

  1. 守口 毅 のコメント:

    佐々木兄
    美子さんの介護、身につまされます。だけじゃなく、私は母相手に、ものすごく参考になります。こちらもミキサー一歩手前です。それにしても、兄いー、南相馬の地元のスクラムの強さを感じますね。そこにばっぱ母さんの念力までが届いているんだから、スンバ素ん晴らしいかぎりです。うっすっぺらな東京のコミュニティーではこんな姿、期待のしようがないことです。でもわたしも頑張る!

    守口

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