お藤さん

ここ数日、四月に出る予定の『スペイン文化入門』のことやら、或る国への翻訳出版助成への申請書類のことやら(これはけっきょく碇さんにオンブにダッコだったが)、さらにはもう一つ、これが実現しないうちは死んでも死に切れない、とまで思いつめている或る遠大な計画のことやらで、頭が三角か四角になったような忙しさ。それでなくとも主夫・介護にまつわる雑事で眼が回るような毎日。それに追い撃ちをかけるように給湯機の故障(幸いこの方は翌日福島市から駆けつけてくれたサービスマンに直してもらえた。まさに地獄に仏とはこのこと)。
 間違いは起こるべくして起こったわけだ。でも幸いその間違いを直す時間が残されていて助かった。それはお世話になっている人の名前を間違えたことで、ご本人には謝って事なきを得たが……
 でもなぜ間違えたのかな、と悔し紛れに(?)考えていたら、その原因が今さっき分かった。つまり間違いの元は我が双子の子どもたち(といってもう40をとっくに越えたが)の名前だった。生まれる前に名前を考えていたとき、ぜひ好きな作家の名前を拝借しようと考え、候補に上がったのが石川淳と中島敦だった。ところが生まれたのは思いもよらぬ双子。町の産婆さんだったから、心音が重なっていたのか、生まれるまで双子と分からなかったわけだ。というわけで、どちらにしようか迷うまでもなく、二つとも拝借することになった。男の子の方には淳、そして女の子の方には敦(子)をもらった。
 つまりそのお世話になった人の名前が淳夫なのに、何度も敦夫と書いてしまったという次第。でもそのことを言いたくてここまで書いた? なんか魂胆があるな。
 ビンゴ! そう、本当に言いたかったことは、たぶん多くの人、とりわけ若いお父さんお母さんたちの反感を買いそうな憎まれ口です。つまり昨今の我が子の命名の仕方に異議あり。なんですか、アニメの主人公みたいな、あるいは国籍不明なみょうちきりんな名前。もうすぐ入学式。さあ困るぞ先生たち。フリカナがなければ絶対読めないような変てこ名前のオンパレード。
 今さら太郎、花子にせよ、など時代錯誤のイチャモンつけるわけではないが、昨今の名前の乱れはヒドイもんである。世界広しといえど日本だけじゃないかな、これほどまでに毎年大量の、訳のわからぬ名前が氾濫しているのは。命名の仕方についてお上に口出しなどしてもらいたかないけど、やたら意味の無い制限や条件をつけたがるお役所さんが、なぜ当て字・ナゾナゾ遊びみたいな命名横行のこの無政府状態を放置しているのか分からない。おそらくヤングレディー向けの雑誌などで今流行の名前ベストテン!などといった記事を参考にしてるんだろうな。
 名は体を表す、という言葉もあるが、命名は徒(あだ)や疎(おろそ)かにできない伝統であり文化である。あったまのわるーい(とは限りませんが)編集者やテレビマンなどに左右されるべき些事ではないぞなもし。
 ここで名前がどれだけ大切かを立証(?)するため、むかし書いたことを引き合いに出そうと、行路社版の『モノディアロゴス』を引っ張り出してきた。ありました、2003年3月21日のところである。つまりそこに出てくるお富士さんこそ私が小説の中で恋した最初の女性である、それだけ名前の持つ意味は重いのですぞ、と言うつもりだったのである。
 ところがそのとき原文に当たらないまま書いたものだから、とんだ思い違いをしていたことに、いま気付いたのである。「千鳥の話はお富士さんから始まる。」これは鈴木三重吉の名作『千鳥』の書き出しである、てな調子で書いているのだが、お藤さんをお富士さんと間違えるだけならまだしも、冒頭からして違っていた。

「千鳥の話は馬喰(ばくろう)の娘のお長で始まる」なのだ。

 勇ましく昨今の命名法を批判するつもりだったが。これでは腰砕け。いやそうでもないか。逆説的にではあるが、それほど人間の名前は大事ですぞ、と強引に続けましょう。
 どうです「藤」なんて名前すてきでしょう。つけるならせめて実在するもの、女の子なら花の名前なんていいですなあ。男の子、そう花の名前に良いのが見つからなかったら、動物でもいいすよ。例えば頭の良さそうな子なら麒麟、元気の良い男の子なら「とど」なんてどうです? いや?
 冗談は美子さん(これ三平師匠のぱくりです)、ともかくもう少し伝統を大事にしましょうや。アニメのキャラクターみたいな名前なんてつけると、将来、スマホの操作で簡単になびいてしまう子どもになっちゃいますぞ。

※追記 どうも我が一族は文学者から名前をもらう傾向がある。母方の叔父・健次郎は徳富蘆花の本名からだし、いや私の兄弟も、芥川龍之介の三人の息子の名前から順序までならってつけられた。もっとも漢字は違っているが音は同じだ。つまりヒロシ、タカシ、ヤスシ。でも最後のヤスシは? 実は名前まで考えていたらしいが残念ながら死産だったそうだ(ここで改めて合掌)。また父方の一族に、博という字を入れた名前がやたら多い。それは父の兄の一人が博で、若死にしてしまったが眉目秀麗な秀才で死後も尊崇の的だったかららしい。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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