熟読の極み

ようやく春らしい日がやってきた。また寒さがぶり返すかも知れないが、この春うららかなひと時をまずは楽しもう。とは言っても、寒いときの疲れが溜まっているのか、一向に気分が晴れない。おまけに暇を見つけては例の豆本作りに余念がないから、窓外のうららかな陽気に心躍ることもなく、清少納言や兼好法師なら、さしずめ「物狂ほしけれ」なんて言うであろう心境である。
 住所の知っている人となれば、もう親戚筋しか残っていない。「東京新聞」や「カトリック新聞」の紹介記事のコピーをいわば能書きに仕立てて豆本を贈呈するのだが、反応は思わしくない。どう反応していいのかわからないのだろう、と好意的に(?)解釈することにしている。
 ただの紙っきれに書かれた文字より、丹念に作られた豆本なら少しは注意を惹くだろうとの苦肉の策だが、思ったより効果がないのかも知れない。しかしとにかく千羽鶴、千冊はどうしても作りたいとは考えている。しかし贈呈数と在庫数の記録がうまくいかず、650個あたりから改めて数え直しているところ。
 そんなとき、少し嬉しいニュースもあった。先日、著作権事務を代行する日本著作権教育研究会というところから、私の書いた文章の一部を、名古屋女子大学が入試問題(国語)に使用した件について連絡が入ったのである。つまり今年春の入試に、オルテガ『大衆の反逆』(中央公論社)解説として書いた「今日的オルテガ」の冒頭部分を使用したが、それの二次利用(問題集作成のため)の許可を求めてきたのだ。もちろんOKである。
 実は入試問題に拙文が使われたのはこれで二度目である。最初は三年前、大東文化大学教育学部の推薦入試小論文問題に、あの今を時めくマイケル・サンデル教授の文章と並んで、『原発禍を生きる』の四月十日の文章が出題されたのだ。問題はこうなっている。「(前略)今回の震災と原発事故によって顕在化したと思われる日本社会と日本人の特徴について、二つの資料に述べられている見解を比較しつつ論じてください…(後略)」
 ここで何も自慢話をするつもりはなく、ただ言いたかったことは、普段は読み飛ばされたり無視されたりする私の文章も、時には熟読玩味されることもある、と…あっやっぱり自慢話になるが、出題者はもちろん、受験生が強制的にとはいえ私の文章と真剣に渡り合っている光景を想像することは、かなりの刺激になり励みになるというわけである。
 ところで名古屋女子大学の設問は漢字の読みを含めて六問あるが、さて私自身が受験したらどうだろう、正解とされるだろうか。確かむかし、中野好夫さんがご自分の文章を使った試験問題の答えがご自分の意図したものと違う、と怒ったことがあったように思うが、私の場合、使ってもらっただけで御の字で、面倒臭いことは言わないであろう。
 要は先日の三光教授のご高評とも合わせて、時に自信喪失、無力感に襲われる私にとって程よいカンフル剤になる、ちゅう話です。お後がよろしいようで…♪♫

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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