偉い坊やがいたもんだ!

昨十五日は聖母被昇天の祝日そして敗戦記念日だったが、美子が二月末に装着してもらった胃婁器具のちょうど半年ぶりの交換の日に当たり、午後一時、介護タクシーの送り迎えで日帰り入院。息子夫婦が付き添ってくれ、手術そのものはごく簡単だったらしく、午後三時ごろ無事帰ってきた。 
 喜ばしいことがもう一つあった。呑空庵初台支部の中野恵子さんからこんなメールが入った。
「今朝6時50分、朝の祈りで行方不明の2歳の男の子が無事でいますように心込めてお願いしました。その時間に見つかったようで、今度は感謝の祈りです。良かった!!!」
 山口県防府市の二歳児・藤本理稀(よしき)ちゃん発見のことだ。理稀ちゃんは家族5人で帰省していた周防大島町の曽祖父の家の北側にある山の中で見つかった。発見したのは捜索ボランティアの尾畠春夫さん。
 凄い坊やがいたもんだ。二歳だから三歳の大五郎より偉いかもしれない。沢の傍で三日三晩、坊やは頑張った。尾畠さんの呼ぶ声に「ぼく、ここ―」と応えたそうだ。
 エライっ!この間亡くなった秀樹じゃないが、タカシ、感激!だ。発見者の尾畠さんは私と同じ78歳、馬鹿な78歳もいるけど、こんな偉い78歳もいるんだ。
 そしてこんな坊やがいるんだから、日本の未来は明るいかも知れない(それ飛躍のし過ぎーっ!)

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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