明後日がホームの夏祭りと聞いていたので、今日は昨日買っておいた花火二袋を手土産にした。ウメさんは、前回同様、今日も体調がよろしいようで、ベッドの上に横になっていたが、連れていった娘を見て、大いに驚き、かつ喜ぶ。「おばあちゃん、元気なんだから庭の草取りしなきゃだめだよ」といういつもの娘の冗談に、感極まって泣き出す始末。
 運転の疲れを少しでも仮眠で補おうと、気持ちよい風が入るガラス戸の方を向いてうつらうつらしていると、背後でウメさんが何か二人に訴えている。妻も娘もよく聞き取れない。「食べ物?」「ここの人たちに何か頼みごとがあるの?」といろいろ聞き出そうとしているが、どうも分からないようだ。「じゃ、今度来るときまでゆっくり思い出して、そのとき遠慮なく言ってね」と言っている。
 いま夜の十一時、バカなテレビ番組を見終わって、机の前に来たとき、ウメさんが言っていた言葉はたしかイノチミズではなかったか、と急に思い出した。妻が「飲み物なの?」と聞いていたので、下の言葉が「ミズ」だったことはほぼ確実だが、上のことばが「イノチ」だったかどうかは自信がない。でもたしか「イノチミズ」という変な言葉だったよな。待てよ、それはもしかして「洗礼」のことでは?
 まさか。でもいつかも、何か言いたそうで、結局分からずじまいだったことがある。お金のことでも何かほしい「物」でもなかった。もしかしてあの時も、今日の「イノチミズ」のことではなかったか。義父が死ぬ前にペトロという名を貰って洗礼を受けたことは知っているはず。だから自分もいつか、と思っても不思議はない。もしも彼女が希望するなら、それをかなえないわけにも行くまい。私か妻が授けることも出来るが、ここは義父の場合のように、兄神父にご足労願おうか。

アバター画像

佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
カテゴリー: モノディアロゴス パーマリンク