番外編 武田泰淳「中国文学と人間学」からの引用


…「列伝」ばかりでなく、二十四史全体が、中国人が昔から集積した人間学の宝庫であると言ってさしつかえない。
 このような人間学の発達は、ひとり歴史編纂者ばかりでなく、一般の中国人にも影響した。むしろ一般の中国人が自分たちの生活の深みから何代にもわたって生み出した人間学が、このような歴史の土台をなしているのである。人間の暮らし方、生きて行く方法に関する中国人の異常なほどの関心、研究心、あらゆるものを人間中心に眺め、この世の生存の楽しみ、この世の子孫の繁栄を考えぬかせたのであって、そのためには、自然科学や宗教のようなものまで、あまりに人間臭のはげしい澱みのなかに置きざりにして、かえり見ないほどであった。
……

 中国の歴史の形式と精神を創り出した司馬遷という人などは、この世に絶対者というものを認めていない。どんな権力者、どんな帝王、どんな軍人政治家も、もとを正せば、また本体を洗ってみれば不完全な人間にすぎないことを証明するために一生をついやしたような人である。
……

 儒教の文献その他、公の教えを説くものは仁義とか礼節とか、人間の暮し方を一つのわくにはめこんでいるようだが、実際の中国人の生き方は、遥かに自由で豊富であった。女の道徳など、かたくるしくしめつけられたような表面の下に、おどろくほど多彩で、屈することのない、つまり平凡にして根強い生存欲を思う存分のばしひろげる工夫がこらされていた…

 また人間の考え出したあらゆる人間論よりも、人間は更に複雑であり、豊富であることをよく感得している。読者がこのことわりを忘れず、作者がこの真理を感得しつつ、その上に生み出された中国文学であるからには、書くことが生きることであり、読むことが生きることであるという文学的事実もまた、この意味での中国文学的解釈を必要とするであろう。書くことが生きることである、と日本の告白作家が宣言する場合、それはここで言う中国文学的解釈からは、子供らしく思われるかもしれぬ。また、中国の読者が読むことは生きることであるとする場合、それは西田哲学の書物を買うために行列する東京の学生とは、意味するところ自ら異るであろう。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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