昌益のアイヌ論

相変わらずの猛暑が続いている。いつ涼しくなるのだろう。こんなときは馬鹿話より、超真面目な話の方がいいかも知れない。
 『モノディアロゴスⅢ』を読まれた、同じ街の詩人■さんが、先日、お返しにはなりませんが、と言いながら、最近氏の書かれた詩やエッセイが掲載されている雑誌を5冊ほど持ってきてくださった、そこに挟んであったお手紙に、「もうお調べでしょうが」とあり、岩波の「日本古典文学大系97」『近世思想家文集』(1966年)の3ページほどのコピーが添えられてあった。
 『モノディアロゴスⅢ』の「北の大地=アイヌモシリ」の最後に書いておいた次の文章にご親切に応えてくださったのである。「…しかしここで昌益の名を出したのは先祖探しとは関係がない。要は彼が、『自然真営道』で、和人に対するアイヌの反乱に対しても、それを正当化する発言をしている、とどこかで読んだ記憶があるからである。彼の生きた時代にそれだけのことを言ったシャモがいたのはスゴイことである。ただ、今のところ、その箇所がまだ見つからない」
 これを書いたのが2008年11月。ところがいつもの悪い癖で、それ以後調べることもせずに今日にいたったのである。家にはバッパさんが買い求めた『安藤昌益全集』全25巻があるにもかかわらず。
 さすが■氏。安藤昌益にもお詳しいのだ。その箇所が『自然真営道』ではなく『統道真傳』であることがすぐおわかりになったわけである。母方の先祖が八戸の出で姓も安藤であることを手がかりに先祖探しというより、安藤昌益との関係ありやなしや、を尋ねてみるつもり、などと大言壮語したのが恥ずかしい。
 それはともかく、さっそくその箇所を読んでみた。ただし原文の方は註を頼りにしても私には難しすぎるので、中央公論社「日本の名著19『安藤昌益』野口武彦責任編集」の現代語訳で読むことにする。以下「東夷国(蝦夷あるいはアイヌ国)」の一部がそれである。

「東夷国は、日本の北方、海上わずかに十里を隔てて松前の島があるが、そこからさらに北方に陸の続くこと五百余里…その人品は、身長七、八尺あるいは六尺。松前近辺では五尺くらいである。猿の眼の色をしていて、人相は荒々しく、夫婦の愛念が深く、長寿である。しかしその心術はつたなく、金銀の通用がないので、貯蓄とか奢侈とかの欲念や邪巧がない。上下の支配がないので戦争もなく、奪ったり奪われたりの乱世もない。松前の方から侵犯や劫掠することがないかぎり、向うがこちらへ貪りに来ることはない。こちらから侵犯したり劫掠したりするので蜂起が起こるのである。これは夷人の私の罪ではない…」

 なるほど、安藤昌益は面白い。掛け声ばかりではなく、そのうち本気に勉強しなければなるまい(本当?また掛け声だけじゃないの。ドッコイショって声だけじゃなく、腰を上げなくちゃ)。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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