卑語は潤滑油?

来年早々出版予定の『情熱の哲学 ウナムーノと「生」の闘い』(執行草舟監修、法政大学出版局)の再校ゲラを見終わって送り返すことができてひとまずホッとしている。本当は直したいところがまだあるような、かなり未練がましい思いを引きずっての返送だったが。
 前にもご紹介したが、この四十年も前の著作が、同時期に書かれた四つほどの論考で補完されて再刊されるのは、ひとえに執行草舟氏の強力な働きかけと監修、そして安倍三﨑さんの実務的なご尽力あってのもので、それが無かったなら、これまで通りひっそりと古書店あるいは個人の本棚の隅っこに埃を被って、いつかは当然消え去る運命だった。
 増補復刊までの経緯は、著者まえがきに書いたのでここでは繰り返さないが、再校しながらいろいろ思い出すことがあった。特に今回、安倍三﨑さんの翻訳で組み込まれる「ウナムーノと漱石」は、サラマンカ大学のウナムーノ研究誌にスペイン語で書いたもので、とりわけ思い出深い論文である。
 1974年4月、私大連盟在外研修の援助金を元手にスペインに渡り、当時サバティカルでマドリードにおられた恩師・神吉敬三先生と、同じく美術史家・大高保二郎さんと三人で大高さんが運転するカブトムシ(フォルクスワーゲン)でポルトガル周遊美術館巡りに同行した。そしてリスボンで待っていた神吉先生のマドリード遊学時代のウルグアイ人の友人に案内されてのドライブ中、その下手なスペイン語で書かれた論文を、そのウルグアイ人に添削してもらったのである。
 そのあたりのことはほぼそのまま「ビーベスの妹」という短編に書いたが、ともあれ揺れる車の中で、その半ば亡命ウルグアイ人は、むかし神吉先生にならったらしい卑語を連発しながらの添削だった。つまり日本からのお客さんに敬意を表して(?)「キ●●マ!」とことあるごとに連呼したわけだ。そのあと私だけコインブラで二人と別れ、汽車で国境を越えてサラマンカに向かい、そこで研究誌の編集をされていたイバーニェス夫人(彼女自身はガルシア・ブランコ教授の未亡人と呼ばれる方を好んでいたが)に無事原稿を手渡すことができた。
 スペイン系の人は「畜生!」とか「あっらまあ!」などを主に性器を表す言葉で表現することが多い。むかしスペインでも学生運動華やかかりしころ、一人の教授に詰め寄った女子学生がその言葉を発したとたん、教授に「君、その意味知ってる?」と言われたとたん赤い顔して退散したというエピソードも、その時に神吉先生から教えられたものかも知れない。よほどそのことが気になっていたのか、二年後執筆の『ドン・キホーテの哲学』にこんな一節まで書いている。

たとえば。「文化」の樹液としての「ことば」について考えてみよう。
男性の性器に、意志力の源泉を見ていたショーペンハウアーは、会話のなかでその名称を乱発するスペイン人を、高く評価していたそうだ。実際、スペイン人同士の会話で、隠語(性語と言うべきか)が、いかに会話そのものに、弾みをつける潤滑油の働きをしているか、われわれにはちょっと想像ができないほどである(もちろん、原意はほとんど意識されないだろうが)。
(中略)
 その点われわれの日本語は、いかにも上品である。それが、日本人特有の潔癖な性格に由来するものなのか、あるいはお上の国語政策以上に徹底した、国民同士の「反省会」的相互チェックのしからしむるところなのか、にわかには断じがたい。
 『誰がために鐘は鳴る』のロバート・ジョーダンが言ったように、「一切合切なくして例の偉大なカラーホ(陰嚢)だけが残る」のも困りものだ。がしかし、われわれの文化が、生活それ自体が、きれいごとで上っ面だけの、貧血症のそれではないか、と反省してみるのも無駄ではなかろう。

 などと一気に比較文化論にまで踏み込んでいるのは若気の至りか。
 と、ここまで書いてきて、待てよ、そのウルグアイ人は今何をしているのか、念のためグーグルで検索したら、なんと出てきました!


「アニバル・アバディエ=アイカルディ 1929年、ウルグアイ、モンテビデオ生まれ。フランスで中等教育を受けた後、マドリード大学でアメリカ史を学び、サラマンカ大学で歴史学を修得。のちドイツのハンブルグ大学でスペイン語講師、さらにビーレフェルト大学で助手を務め、最後は母国ウルグアイ大学でイベリア並びにイベロアメリカ文化史の教授となる。多数の著作があるが彼の詩作品『記憶の跡 Vestigios de la memoria』と『或る午後のエレジー Elegias de una tarde』は高い評価を受けている」

 そう、ならばそこに紹介されている前者の一つ「冬 Invernal」(23番)でも訳してみよう、とは思ったが、やめた。無理だ。でも生涯一種の亡命者・放浪者でもあった彼の面目がその寂しい冬の情景詩に現れているとだけは言える。
 この年譜によると、神吉先生より三歳上、私よりちょうど十歳年上なので、存命しているとしても今は八十八歳、何とか連絡を取ろうかな、と思ったがこれもやめた。今更そんなはるか昔の思い出を掘り起こさせるのも酷な話。それに「ビーベスの妹」では、その放浪者的な風貌がビーベスを思わせるところから、勝手に彼をビーベスの血を引く子孫に仕立て上げるというインチキをしたのだから正直合わせる顔がない。ともあれ、どうかお達者で。

アバター画像

佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
カテゴリー: モノディアロゴス パーマリンク

卑語は潤滑油? への2件のフィードバック

  1. 阿部修義 のコメント:

    美子奥様

     お誕生日おめでとうございます。  2017年12月8日

     美子奥様と神吉先生で「ラピスラズリと聖母マリア(2010年11月7日)」を思い出しました。

     「偶然かも知れないが、奥様から頂いたラピスラズリの誕生月に生まれた美子も、明日からせめてペンダントだけでも肌身離さず付けさせていただこう。」

     12月の誕生石は群青色のラピスラズリです。ラピスラズリに金色のパーライトという共析晶が付着しているものもありパワーストーンです。美子奥様のご健康を心からお祈り申し上げます。

  2. アバター画像 fuji-teivo のコメント:

    阿部さん、いつも書いた本人さえすっかり忘れていることを、まるで魔法のように見つけてくださいますね。ちょうど今晩、いやもう昨晩になりましたが、神吉先生のことを書いたのも、何か虫の知らせだったのでしょうか。久しぶりに神吉先生と奥様のことを思い出させてくださいました。ともかくそんな忘恩・不肖の弟子であることを恥ずかしく思います。
     もちろん美子の誕生祝いを真っ先に祝っていただいたこと、本人に成り代わりまして厚く御礼申し上げます。本人は恥ずかしがるかも知れませんが、74歳になりました。現在は話すことも身動き一つすることもできませんが、時おりハミングのような声が聞こえてくることがあります。先週の水曜日、月一度の往診で、お医者さんに栄養状態、血圧など何の問題もありません、と褒められました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください