- 神の沈黙とは? 遠藤周作氏の近作をめぐって (1966年)
- 死霊を求めて――埴谷雄高氏とともに (1966年)
- 奄美に島尾敏雄を尋ねて (1966年)
- 相馬行――埴谷雄高氏と共に (1966年)
- インゲという少女 島尾敏雄論 (1) (1967年)
- 『死の棘』の世界 島尾敏雄論(2) (1967年)
- 終局へ向かう旅人 島尾敏雄論 (3) (1967年)
- 島尾敏雄の中の東北 (1967年)
- 修道院生活と文學體驗 (1967年)
- たまゆらの世界 (曽野綾子論1) (1967年)
- 砂糖菓子は壊れたか (曽野綾子論2) (1967年)
- 批評の醍醐味を知る (1967年)
- 女性への鎮魂歌 (『華岡青洲の妻』) (1967年)
- 私にとってキリストとは何か (書評) (1973年)
- 魂の真実を描く難しさ (遠藤周作『イエスの生涯』評)
- 人間理解のための思わぬ啓示 (『食人の世界史』、『拷問の世界史』書評) (1974年)
- (批評と紹介)胸を打つ人間ドキュメント (1975年)
- 島尾敏雄における生の構造 (1977年)
- 「カトリック新聞」文芸時評 (1977-8年)
- E. カルデナル著『深き淵より』評 (1979年)
- われ俳諧の裾野を徘徊す (1991年)
- 島尾敏雄との距離 (『青銅時代』島尾敏雄追悼)(1987年11月)
- 日本文学の部屋 (旧HPより転載)
- 埴谷雄高・島尾敏雄評伝(南相馬市『おだかの人物』に執筆)(2006年)
- ポスト3.11の文学 (2012年)
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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